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インド全域ロックダウン11日め。

南インドのゴア州にいます。

私は元気です。


3月22日日曜日、

全インド完全ロックダウン。


その直前にインドの電車も全て止まる。

140万人を雇用するインド鉄道会社が止まる、ってすごいこと。

インド国内線の飛行機も全て止まって

もちろんバスも走らなくなり

13億人の移動手段が全てストップした。


とはいえ、3月22日日曜日の時点では

「1日だけのロックダウン」という意味不明のふれこみで

「1日だから買いだめとかしないように」と

モディ首相自ら強調。


この時インドはすでに、これからしばらく国際便が飛ばなくなることを宣言していた。

自分の国に帰れなくなることを恐れた外国人ツーリストは

バタバタと予定を早めて自分の国に帰りはじめていた。

レストランもビーチも市場も日に日に人が減っていっている。


ゴアのツーリストシーズンの終わりが、例年より2週間早くきた感じかな。


ただ、全インドロックダウンといえど、

ゴア州の感染者はこの時点でひとり。

危機感はまだそこまでではなかった。


だから、とりあえず土曜に食材だの酒だの買い込んで

1日家に楽しくこもればいいくらいのつもりでいた。

この1日は、あくまでも「練習」で、次にもっと長いのがくるんだろうな、くらいだった。


それが、日曜の夕方には1日のはずのロックダウンが3日に延長と発表される。

その発表の次の日には10日間延長(3月末まで)にかわり、

間もなく、ついに21日間(4月14日まで)の全インドロックダウンがスタートした。


最初の数日間は、今日はこの店が開く、いやそこは閉まってる、

今日は一歩も出るな、という情報が交互に出される。

今日は1歩も出るなというおふれが一番厳しかった時は、

警官があちこちに立っていて、

外に出ている人を竹の棒でバシバシ叩いている映像がSNSで流れる。

(通称バンブーマッサージ。インドの警官は銃を持っていません)


でも、買い占めするな、大丈夫だから!

だってロックダウンはたったの1日だから!と言われていたのが

いきなり3週間になっちゃった訳で、

こっそり開いている店にこっそり行かなきゃいけない人が後をたたない。

さすがに、警察の憂さ晴らしのようなバンブーマッサージに批判が殺到し

間も無くその勢いはなくなった。


でも厳しかったときは、

おそらく人が集まっているのを監視するため、のヘリコプターが聞こえたし、

軍隊がパトロールに駆り出されていた。

これは厳密に言うと軍隊ではなくて、市民をコントロールする役割の人たちで

逮捕をすることができない。だから逮捕するかわりに、うさぎ跳びさせたりしていた。

うさぎ跳びよ?この映像もSNSで出回っていた。

私の住んでいる地域では、幸いそこまでオーバーヒートしていなかったみたいだけど。


そんでもってインドのモディ首相が、コロナウィルスを、

「外国人ウィルス」とか呼んじゃったものだから

外国人差別がまきおこり、ゲストハウスを追い出されたり、

(しかも宿は新しいゲストを受け入れることを禁止されているので

追い出されたあとの行き場がない)

コロナ呼ばわりされて石を投げられたり

ひどい話も聞いた。


ゴア州の、私がいる地域は治安もよくて落ち着いているので

幸いなことにローカルが外国人に怒りをぶつける、

などの話はあまり聞かないけど、

ゴアの外国人の友達が、八百屋にいったら

十分ある野菜を売ってもらえなかったり

道でちょっと止まっただけで

ローカルの人に、明らかにいやーな目をむけられたりとか

ちょこちょこそんな話も聞いていた。

なんかあったら、盛り上がりやすい国民性ゆえ、

矛先が外国人に向けられなければいいな、と

ちょっと私も緊張していた。


でも、ロックダウン10日をすぎると、

そこここで小さく開いている店に

モノが入ってくるようになった。

人々も殺到せずに、さらっと買い物に行くことが可能になってきた。

ゴアは、インドきっての観光地だけど

もともとは漁村で、今は魚がよくとれるシーズンなので

今朝は漁船は出払っていたみたい。

とはいえ市場には持っていけないので、

こっそり漁師の家で売ってるんだそう。


買い物していい時間が決まっている訳ではなく

基本的には外出禁止。

でも、政府がロックダウンはじめに言っていた、

自治体ごとにオーダーをとって必要最低限の食材を配達するシステムが

いつまでたっても見えてこない。

だから、小さい店や、スーパーの一部は開いていて、

モノがあれば買える。


でもそこに人がたかってはいけないので

売るほうも買うほうも緊張だったのだけど、

10日たって慣れてきたのか、

今朝買い物に行ってくれたうちの相方は、

道に人は少ないけど、ピリピリした感じが落ち着いたと言っていた。

警官が立ってはいるけど、どちらかというと

人がたかるのを防ぐ役割、みたい。

買い物は、選択は限られてるけど、まだだいじょうぶ。

今はなんでもありがたい。

いつもは絶対買わない、甘くて添加物ごっそりのインド製マヨネーズも

拍手で迎え入れられた。

もっとも外国人が多いゴアはもともと輸入食材も多くて

ここはかなり恵まれている環境。(しばらく輸入はないけどね)


行き場がなくなったツーリストに、

ただで泊めてあげるよ、というゲストハウスが出てきたり、

主に、自分の故郷に帰りそびれた日雇い労働者のために

無料でご飯を配ったりするレストランも。
オーダーして店でピックアップ、を始めるレストランも出てきた。

昨日は、ゴア政府から、

「家主は、ツーリストを追い出してはいけない」

「家主は、やむを得ず滞在せざるを得ないツーリストに家賃を払わせてはいけない」

というお達しが。(家賃を払わせてはいけない、と言っても、払われない家賃の補償の話はセットではない)


私は立派なキッチンがある快適な住まいがあって、

幸いパートナーもいっしょで、おまけに

助け合えるコミュニティもあって、

おかげさまでちゃんといいもの食べられています。

冷蔵庫ぎっしりです。味噌もある。醤油もある。

インフラがストップしていないので、

会えなくても、ネット様様で近い友達とも遠い友達とも連絡を密にとっています。

久しぶりの友達に連絡したりされたりで、そこはありがたい。


コロナウィルスの感染予防対策は、

特権階級のものだと、インドにいるとつくづく思う。

インドには、マスクや消毒液や手袋どころか、

水にもろくろくアクセスできない人たちがたくさんいるのです。

シャワーも週1回、みたいな人たちに

1日何回も手を洗え、しかも清潔なタオルでふけ、なんて非現実的。


そういう事情により、

一度ブレイクしたら、感染が広がるのも早いと考えてのこの早期ロックダウン、なんだろうと。

3月25日の時点で、感染は519人、死者10人。(3月31日現在、感染1251人、死者32人)

インドの人口、13億3400万人。(2018年)

インドの人口は、今更だけど中国に次いで世界第2位。

あまりに人が多いので、バスが一台谷に落ちて40人死亡、なんていうニュースは

全国ニュースとしては小さい扱い、くらい。

人の死が軽い、というより、人口が多すぎて

事故死をいちいち追っていられない、というのが現実なんだろうと思う。

だからこの数で、ロックダウンに踏み切ったのは、

他国と比べると早い決断だった。


この決断で、一番の打撃を受けるのはまぎれもない貧困層。

インドの日雇い労働者は1億人と言われている。

いきなりのロックダウンでその日暮らしの人たちは明日のご飯も食べられなくなった。

その上、住んでいた借家を追い出され、

都市部に出稼ぎに来ていた人たちは、電車も止まっている今

やむを得ず、食べ物も水もそこそこに、デリーやムンバイなどの大都市を脱出し、

自分たちの村をめざして歩きだしている。

今、自分の故郷を目指して歩いているインド人、5000万人とも言われています。

何百キロの旅路。辿りつけるのか、辿りついても受け入れてもらえるのか

コロナウィルス以外もで救えない命が出てくるかと思うと、

もう、本当にもどかしくて胸が痛みます。


ロックダウンされる家がある、食べ物もあるってどんなに恵まれているんだろう。


ゴアに取り残されてしまった外国人をひきあげるために、

ヨーロッパ各国からチャーター機がゴア空港に来始めています。


同じ敷地内に住んでいるイタリア人も、明日の便でゴアからイタリアに帰ることに。

少なくとも4月14日まではゴアに滞在せざるを得ないと覚悟していたのに

今朝急にイタリア便が出る知らせがきて、バタバタです。


今のところ、日本への臨時便はデリーからしか飛んでいない。

ちなみに、ゴアからデリーまでは、電車だったら20時間はくだらない距離。

フライトも電車もないなか、車を調達して行くなんてありえない。

デリーからの東京行きの便に、

どうにかほんとに大変な思いをしている日本の人たちが乗れますように。

私はだいじょうぶ。元気です。毎日ヨガするようになりました。

繰り返しますが、ロックダウンされる家がある、

食べ物もあるってどんなに恵まれているんだろう。


ロックダウンされたタイミングが、ゴアでほんとにラッキーだった。

これが首都デリーの知らない宿、とかだったらこうはいかなかった。

今一番大変な思いをしているのは間違いなく私ではない。

一番大変な思いをしているのが自分だった時、なんてないんだけど。


ちなみにゴアは埼玉県くらいの大きさで、ロックダウン時の感染者数は、1人でした。

ついこの前の、東京の人出の写真を見て、心底びびりました。

補償がなくて自粛「要請」が続いたら、複雑な気持ちで開けざるを得ないお店ばかりだよなあ。

日本の対応の後手後手ぶり、外から見てると異様です。

東京、かなり心配。楽観的なことが言えないけど、とりあえず東京の実家に米は送った。


例年どおりだと、4月半ばから後半までゴア、それからインドを北上し、

ネパールに行って制作にいそしむ、のかいつものパターン。

だけどもちろん全部ひっくり返り、予定がたちません。

4月半ばまでゴア、ってのはどうやらそうかもしれません。


私も、いきなり帰国!なんてことがないとは言えないけど、

今はかろうじて飛んでいる、デリーから東京の臨時便も、4月9日から15日までは休便。

どちらにしろ、隣町までも行けないのに、デリーまでなんて行けません。


今年の流れがぜんぜん見えませんが、それ全世界同じだよね。

なぜかオリンピックの日程だけ決まってるけど。(なんで?)

とりあえず、しばらくはこちらにいることになりそうです。


ありがとう。私は元気です。


インド全域ロックダウン。_d0132132_21422500.jpg

ロックダウン二日前のサンセット。海行っておいてよかった。

今は、超近いのに超遠いビーチ。













# by shantiriot | 2020-04-01 21:43 | 日々のつぶやきもろもろ

夕方、家に帰ってきたら、

お客さんが来ていた。

バルコニーのベンチに置きっ放しになっていた

大判のウールのショールの上に

老猫が丸まって鼻息荒く熟睡していた。

白に黒のブチ猫で、毛はパサパサしてツヤがない。


インドの猫は、たいていの場合、

高カロリーのキャットフードとか食べてないせいか、

もともと種類が違うのか、それとも両方か、

とにかく日本で見る猫より細身でしまった体型で、

顔も逆三角形でシュッとしている。


猫たちはほぼ間違いなく放し飼いなので

野良猫と飼い猫の違いがあいまいになることが多い。

野良猫のままなんとなく家にいついた猫も

徘徊し続けるので、

ちょくちょくフィッシュカレーや

サモサのおこぼれなんかもらえることになる。

一応メインの飼い主はどこかにいるのかもしれないけど

みんなそれぞれ「うちの猫」と思ってたりする。


この老猫もそんな感じなのかもしれない。

仮住まいの家に来て2週間しか経っていないので

近所の猫事情がよくわかっていないけど

どこを触ってもぴくりとしない熟睡レベルは

人に慣れてるんだろうな。


人には慣れてても

このお布団の快適さは初めてなはず。

バルコニーのベンチはちょうどいい日陰になっていて

そこに、猫用クッションにちょうどいい大きさに丸められた

大判の上質ウールのショールは

誰がくるまっても、そのまま包まれてうとうとしたくなる気持ちよさで

ましてゴアでワイルドな生活をしてきた老猫にはたまらない。

口も半開きで今にもよだれを垂らしそうだ。

そんな感じで夜中までそんな感じだった。

ショールをどかしても起きないんじゃないかというくらい

寝入っていたけど、あまりに気持ちよさそうだったので

ショールを奪うのがかわいそうになって、置きっぱなしにしておいた。


「おやすみスティーブ」(名前つけちゃったよ)


次の日の朝、バルコニーに出てみると

白黒の老猫が寝ていたショールに

代わりに、明らかに「ドン」の風貌の

ワイルドなことに片目しかない、茶色の大きな猫がどかんと寝ていた。

人間に気づいて一瞬のうちに飛び上がり消えてしまった。

これはほんとにジャングル猫だった。

白黒の老猫なぞ、きっとひと睨みでびびって逃げ出したんだろうな。


特にひとより動物大好きって訳じゃなくて

ベジタリアンでもない。


でも、成り行きで犬猫の生死に関わることもよくある。


うちに逃げ込んできた、

顔の半分と頭に、うじがわくくらいの怪我をした野良のボス猫を

アニマルレスキューに連れていって

大手術してもらったりとか。

フランケンシュタインさながらの凄みのある顔になって

元気にご飯を食べていた。


親に見捨てられてしまった子猫を預かったら

感染症があったのかミルクを飲まなくなってしまい、

一晩中看病したけど手の中でだんだん動かなくなって

冷たく硬くなっていってしまったりとか、


たとえ自分が飼っていなくても

日本よりも、動物の生死が日常生活と密接している。


ゴアの雨季は、観光客が減るので、

ちょくちょくもらえた餌にありつけず

生き延びられない野良犬猫も多い。


ゴアのアニマルレスキューが野良たちをつかまえて

避妊手術を施しているけど、追いつかない。

生まれる前からほぼ生き延びられないことがわかってしまう

不運な子犬や子猫たちを思うと、

今の状況では避妊手術も止むを得ないと思う。


特にビーチにたむろっている犬たちには雨季は厳しいので

毎シーズン、ビーチで同じ犬を見ると

モンスーン、今年もどうにか乗り切れてよかったね

とほっとする。


動物界は動物界で厳しい。

救える動物しか救えない。

でも、というかだからこそ

元気に生き延びている動物にエールを送りたくなる。


老猫スティーブも、ワイルドなボス猫も、

ちょくちょくうちに寄ってくれたらいいなあ。


あと一日だけ、出しっぱなしにしておこうかな、いいショール。


追記:この時からちょくちょくうちに遊びに来るようになったスティーブは

実はメスで、老猫でもなかった。顔と態度がふてぶてしく

毛並みにツヤがなかっただけだった。

猫とインド人の年齢はなかなかぱっと見ではわからない。


あいまいな「うちの子」の境界線_d0132132_16541590.jpg


# by shantiriot | 2020-01-17 17:12 | 日々のつぶやきもろもろ

おかげさまで今年も元気に新年を迎えられました。

南インドのゴアに着いてます。

今年もよろしくお願いします。


大晦日、

ビーチでサンセット乾杯して、

家に帰って、相方が作ってくれたパスタを食べたら

猛烈な眠気に襲われる。

炭水化物ノックアウトで

危うくそのまま寝て終わりそうになったのを

無理やり起きて

ゴアのレストランのこじんまりとしたテクノパーティに出かける。

友達とカウントダウンして一杯やって

大人しく帰宅してぐっすり寝たら。


新たな10年がスタートしていた。


この元旦は毎年恒例の新年のパーティにも行かず、

家でのんびり。


昨日と同じ今日で、

新年気分がほとんどないことに

拍子抜けする。


でも、おだやかな新年も悪くない。


新年も

誕生日も

昔はもっとイベント感があった気がする。


でも最近は、イベント感よりも

ああ今年もこの日を迎えられてよかったなあ

としみじみする感のほうが大きい。


私の母は、

ちょくちょく独自の発想をする人で

自分で自分をすごい普通の人だと思ってるので

周りが困ることも多いけど、

面白い時は面白い。


18歳になった時に

母に宣言された。


「誕生日おめでとう、

これからは、誕生日は

お祝いしてもらうよりも

産んで育ててくれた親に本人が感謝する日だと思うの。

そういうわけで、誕生日プレゼントとか、もうなしね!」


ええ?


そうなの?


なんで18歳が区切りだかわからなかったけど


「なんとなく」


の一言で終わってしまった気がする。


そういう訳で、

それ以来親から誕生日プレゼントをもらうことはない。

そのかわり、今でも毎年

自分の誕生日は、実家にありがとうの電話をする。


毎年、

「あなたが生まれた日は

本当に天気がよくて緑が美しくてキラキラしてて」

と同じ話をされる。


去年の誕生日も

実家に電話して、母と同じ会話をした。

でも去年は、今までずっと

電話でありがとうを言ってきた父はいなくて、

そうか、死んじゃうってそういうことか

と改めてもう彼がいないということを実感した。


この12月に、82歳の叔母が亡くなった。

母の7歳上の姉だった。

ずっと具合はよくなかったけど

みんな、まさかこんなに早いとは思っていなかった。

誰もがお見舞いに行けないままに、パートナーに介護され、自宅で息をひきとった。

私は、1年半前に当時彼女が入院していた病院に会いに行ったのが最後だった。

日本出発の前日だったけど、無理して行ってよかった。

10年以上ぶりに会う叔母は、もともと小さい人が

ほんとに小さくなっていた。でも少女みたいな笑顔はそのままで

私の着てるものやらジュエリーやらに驚きながらも

嬉しそうだった。


叔母の葬式が終わった後、母に電話したら、感慨深げに言っていた。


「誰かが亡くなった時に

おいくつだったの、って聞いて

82って言われたら、


あ、そうか、まあそういう事あるわよね

そういう歳よね


って思うけどさ、やっぱり姉だと違うわよねえー


って考えてみたら、私7つ下なだけなのよね

そんな遠い話でもないのよね、ってふいに気づいてさー」


それから数日後、母からメッセージがきた。


「姉ロスも、

80代は人生の夕方だと思って

自分のやり方を考えるきっかけにしよう、と思っています。」


人生の夕方ね。楽しみ方は自分次第よね。


父が亡くなって、1年の大半を一人暮らしすることになった母が

いちいち心配になってたんだけど


この人、大丈夫かもなと思った。


新年も、誕生日も

何よりも、今年もまたこの日がきたね

と言える人がいる、ということが一番うれしい。


パーティに行ったり

家でゆっくりしたり

どんなふうに正月を過ごそうとも

今年も、近くにも遠くにも

同じ年を迎えられた、私の大切な人たちがいる。


「あたりまえ」のありがたさに思いを馳せる、

おだやかな正月も悪くない。


みなさんにとって新しい年が

たくさん笑える年でありますように。

今年もよろしくお願いします。

イベント感のないイベントの幸せ_d0132132_15471045.jpg
2019最後のサンセット。初日の出はもう10年以上見てないけど、大晦日サンセットだけはビーチで見る。


# by shantiriot | 2020-01-02 15:53 | 日々のつぶやきもろもろ

北インドのラジャスタン州から

27時間の列車の旅の末、南インドのゴアに到着してます。

27時間というとびっくりされるけど

この週一回の列車が、ラジャスタン州からゴアまでの唯一の直行便。

1600kmの距離を、陸路では一番速く移動できるのだ。

毎週金曜の朝に、ラジャスタン州の州都、ジャイプールを出発し、

その夜は車中泊、次の日のお昼くらいにゴアに到着。

まあ1時間や2時間遅れることは珍しくないのだけど

割と時間通りに着くこともある。

インドは何かと時間通りにいかないので

27時間の予定が20分遅れで着いたりすると感動する。


それだって遅れてる!のだけど、

これくらい、ほぼ時間通りと言っていい。

怒ったら負け、とも言える。


そんな訳で毎回、自分の許容範囲を試されるインドだけど、

この列車の旅、私けっこう嫌いではない。


パッキングが大の苦手の私は、

出発前日の夜は毎回緊張して寝付けない。

何か忘れてるような気がするんだけど

毎回、実際何かを忘れてきたので、不安材料に事欠かない。


小学生の時、自転車で駅まで行ったことを忘れて歩いて帰ってきたとか、

田舎まで行った夜行列車の網棚にリュック忘れてきちゃったりとか

鍵っ子だったのに、家の鍵を忘れるのは日常茶飯事で

二階までよじ登って、ベランダから侵入するのを近所のおばさんに見つかっちゃったりとか、


(ちなみに、登ることはできても降りることができなかった。

ベランダの扉が閉まってたら

ベランダで誰かの帰りを待つことになってけっこう恥ずかしいので

毎回、ベランダが開いてるかどうか賭けだった)


他に誰もほしくない、忘れ物クイーンという称号を欲しいままに育ってきたので

いまいち、大丈夫、全部持ってるよ、という成功例が足りないのだ。


こんなに長く旅生活を続けてるのに

つねに、何か忘れてるかも、の緊張感はあって

よくこのライフスタイル保ってるなと自分でも思うんだけど


大きなスーツケースその他やたらある荷物を

列車にどんと乗せて、自分の席に陣取って

ゆっくり列車が動き出した瞬間、


あれだけあった、何か忘れてるかも、という緊張感が、

何を忘れていようが今更どうしようもない、という安堵感にかわる。


安堵感じゃなくて諦め、とも言えるかもしれないけど

この、緊張が一気にほぐれる瞬間が毎回快感なのだ。


もう、動き出しちゃったもんね。

つまり、今持ってるものしか持ってない。

持ってないものは持ってない。

なければないなりにどうにかすればいいし、するしかない。

もう選択の余地はない。

だって、動き出しちゃったもんね、出発進行ー!

と、いきなり晴れ晴れとした気持ちになる。


この瞬間は、

タクシーが動きだすとき、

バスが動きだすとき、

飛行機が飛び立つとき、

にもそれぞれあって、それぞれ快感。


いかん、この快感を生み出すために

私は余計な緊張感を不必要に盛り上げていないか?と思うくらい。

それはそれでちょっと屈折していてめんどくさい傾向だと思うので、


ここ数年は、私の尊敬するインド占星術師の敬子女史にもらったありがたいお言葉


「りおちゃんが何を忘れても誰も死なないから」


を思い出しながらパッキングと対峙している。


そんなわけで、旅の始まりは常に安堵感から始まるので

列車に限らず快感なのだけど、

12月の、ラジャスタンからゴアまでのこの列車の旅は、

寝台で目がさめると冬が夏に変わっているので、わくわくする。


12月のジャイプールでは、最低気温は8度、ホテルの部屋に小さいヒーターを入れて

足湯とかしちゃって、外出るときは

ショールぐるぐる巻きで帽子かぶって、とフル装備なのだけど、

そこから出発して、列車の中で一夜明けたら

ココナッツツリーがわさわさして全てが緑。

何よりカラカラに乾いた砂漠地帯のラジャスタン州からくると、

しっとりした空気が(最初は)もうありがたくて、にやけてしまう。


トンネルを抜けるとそこは。。。みたいな、

パンパカパーン、さあジャングルですよ、

緑ですよー深呼吸してください!

というモードになって一気にあがる


そりゃ、エアコンが効きすぎて寒かったりとか

同じ車両のインド人観光客が好奇心旺盛すぎたりとか、

もちろん身の回りの持ち物には気を配らなきゃいけないけど、

到着するのが、南国の冬という快適な気候なので、余計達成感があるのかも。


ちなみに、列車を含め、公共の場では自己紹介を細かにしないようにしている。

ジュエリーを持ってるので、貴重品が人より多い。

誰が聞いてるかもわからないので、

やんわりとあたりさわりのないフツーの旅人の会話にとどめる。


たまに他の旅行者が、ローカルの人に聞かれる質問に

ご丁寧に素直に全部答えてるのを見るとハラハラする。

質問をする人に悪意がなくても

ぎゅうぎゅうのバスの中、みんながみんなそうとは限らない。

たいていの場合大丈夫だけど、

自分の情報を、知らない人たくさんと無防備にシェアすることは

ちょっと危ない。


今回の列車では、同じ車両で、

やたらニコニコ顏の若者が隣に座った。

ラジャスタン州のジャイプールの郊外で獣医をしていて

病気の山羊とか牛とかバッファローの治療をしているという。

面白いので彼の話をいろいろ聞いてたら

やっぱり私のこともいろいろ聞かれた。


「日本人?総理大臣知ってるよ!習近平!」

仕事は何かはもちろん、学歴まで無邪気に聞かれ、

苦笑してごまかしていた。


それでもしつこく聞いてきた彼は、ついに、

同じ車両に座っていた南インド人のカトリックの年配のシスターに

お説教されることに


「どこの国とかくらいはいいけど

学歴なんて聞いてどうするの、そんな個人的なことを

根ほり葉ほり聞くんじゃありません!」

「いや、でもそんなつもりは」

「聞くんじゃありません!」


みたいな感じで、彼の好奇心はきっぱり封印されてしまった。


居心地の悪くなった彼が席を外したとき、シスターが私に

「勝手に叱っちゃったけど、よかったかしら、だって余計なこと聞きすぎよねあの子」

とにっこり。正直ほっとした私はお礼を言った。


前日全然寝られなかったのでその日は列車の寝台でぐっすりだった。

エアコンの車両はシーツと枕とすっごい重いブランケットがくばられる。

寝ても寝てもまだ寝てていい、という時はそうそうないので寝たいだけ寝る。


次の日の朝起きてきたら、シスターが私を見て

「よく寝てたわね。すっごいむくんでる」

とにっこりされた.

知らない人に起き抜けに、

むくんでると指摘されることはそうそうない。

しょうがないので、


私もにっこりして

「ありがとう、でも放っておいてください」と返した。


何が「余計なこと」なのかわからなくなるインド。

「これを言ったりやったら失礼にあたる」という基準は、文化によってそれぞれだなあと毎回思う。


とにかく元気にゴアに到着しています。

今年は急に新しい家を探さなければならない展開になって

思わぬストレスとともにスタートだけど、元気です。


2019年も、近くの人にも遠くの人にもお世話になりました。

おかげで今年もゴアで年越しができることに感謝。

同じ顔に、同じように会えることのありがたさが年々増していく。

去年も今年もかわらぬ合言葉は「健康は宝」


元気です。ありがとう。

忘れ物と旅立ちの時(ゴアに着いたよ)_d0132132_15171032.jpg
12月にしては蒸し暑い今年のゴア。しょっぱなからうろこ雲の夕焼けが美しかった。


# by shantiriot | 2019-12-31 15:22 | 日々のつぶやきもろもろ
18日間のネパール滞在を経て、
インドの北部、ラジャスタン州の州都、ジャイプールに無事到着してます。
今回のネパールは、数日滞在を延長して、
カトマンズから足を伸ばして、ヒマラヤの絶景をちょっとだけ拝めました。

それはそれは神々しいギフトで、つくづく行けてよかったなあと思っていたので
それについて書こうかと思ってたんだけど

昨日の、アフガニスタンの中村哲先生の銃撃事件のニュースを聞いて
もう、とりあえずここを素通りできなくなってしまった。

中村哲先生のアフガニスタンでの活動は
私が書くまでもないのだけど、

彼は、アフガニスタンで医師として活動を行いながら
「診療所を100個作るよりも
用水路をひとつ作ったほうがより多くの命が救える」

と思い立って、自ら設計図を書いて、地元の人々といっしょになって
二年間で用水路を完成させて
荒地を緑に変えて、
60万人に新たな雇用=食べ物を生み出した人。

私のパキスタン人の友人が、中村哲先生の友人で、いっしょに仕事をしていたこともあり、
彼の人としての素晴らしさ、本当に多くの人に尊敬されていることを
長年ずっと聞いていたので、
実際にお会いしたことはないのですが、
勝手に身近な存在に感じていました。

昨日のテレビのニュースは、YouTubeでも見ることができ
ニュースの中でコメントをしていたのは、その友人だった。
友人の、ショックを隠しきれない様子を見て
ああ本当なんだ、本当に殺されちゃったんだ、とひたひた現実がやってきた。

言葉が見つからない。本当に残念でたまらない。

私はアフガニスタンに行ったことはない。

旅をしていてよかったな、と思うことは、
行ったことのない国の人に会えること。
ま、旅してなくたって会えるんだけどさ、
行く場所によって、会える国の人が違ってくるよね。

で、行ったことのない国の人に会えるということは、
その国のニュースを聞いたときの
ニュースの受け取り方が変わってくるということ。

たったひとりでも、その国の人に会ったことがあると
その国の人々に思いを馳せることができる、ということ。

私の友人に
インドに、絨毯やテキスタイルを売りにきているアフガニスタン人の兄弟がいる。
兄弟だけで8人もいて、そのうちインドに来ているのは3人だけなんだけど、
たまに妻とか妹とか連れてくる。
英語が書ける一人を除いては、
毎回会う度にお互いに片言のヒンディー語と英語と身振り手振りをフル活用しての
コミュニケーション。もう10年以上知ってるんだけど、ボキャブラリーは増えないのに
理解度が増してる気がする。

私はジュエリー屋さんなんだけど、テキスタイルも大好きなのだ。
ジャイプールのホテルの部屋に積み上げられた、
何百キロもの、じゅうたんやらドレスやら帽子やらバッグやら何やら怪しい刺繍グッズやら
あさりながら、家族の話や、食べ物の話や、戦争の話をする。
アフガニスタンから山ほどもってきたお茶とかナッツ類とか薦められて、
気づくとあっという間に二時間くらいたっている。

行ったことのないアフガニスタンのイメージが、生き生きしてくる。
白黒映画がカラーにかわるみたい。

唯一英語が書けるバシールには、メッセンジャーで連絡がとれる。
バシールは、30歳になったかならないくらいなんだけど
生まれたときから戦争しか経験していない。
当たり前のように、友人が殺されている。
アフガニスタンの友達と写っている写真を見せてくれると、
「あ、この彼は死んじゃったよ」とか「この彼はこの前あわや銃撃されそうになったよ」
とか平気な顔をして言うので、私はもちろんびびる。
その度に、「しょうがないなあ」みたいな顔をして笑われる。

アフガ二スタンの友人と話していると、つくづく、平和ボケってのは特権だと思う。

アフガニスタンの首都、カブールで
二年くらい前に、ドイツ大使館の前で大爆発が起こったことがあった。
大使館に近づいた、給水車を装った車は、実はガソリンが詰まっていたのだった。

バシールが当時カブールに住んでいたので、
ニュースを聞いて、あわててメッセージを送ったら
彼は、爆破地点から1kmのところに住んでいた。
「地震かと思ったよ。今壁を直してるけど、とりあえず今日は友達のところに泊まる」
と言われてびびる。数日後には、もう自分の部屋に帰っていた。
もう、「大丈夫」の定義が違う。

アフガニスタン兄弟の若い甥っ子は、
家族の反対を押し切って、政府で働きはじめ
家族が恐れていたとおり、乗っていた車が政府反対勢力に銃撃されて
大怪我をおった。でも死んでない。「大丈夫」と言われても私はおろおろした。

中村哲先生の銃撃のニュースを聞いて
アフガニスタン兄弟のことを思い出さずにはいられなかった。

そしたらすぐに、バシールからメッセージが来た。

Losing Dr. Nakamura is very hard,
especially for our Afghan people.
Today Afghanistan lost a true hero and public servant.
He has devoted his life to the medical treatment and land reclamation of vulnerable people in Afghanistan.
My prayers are with Dr. Tetsu Nakamura family during this difficult time.
He will be remembered as a true human being who selflessly worked for the betterment of #Afghanistan. 😭


「ドクター中村を失うことは、私たちアフガニスタン人にとってとても辛いことです。
今日、アフガニスタンは、献身的に公に尽くした真のヒーローを失いました。
彼は、アフガニスタンの弱い立場にいる人たちのために、
医療援助と土地の復興に人生を捧げました。
今とても辛い思いをしている、ドクター中村の家族のために祈りをささげます。
彼は、アフガニスタンの復興に尽くした、無私無欲の真のヒーローとして忘れられない人となるでしょう。
#Afghanistan. 😭

おそらく、これはバシール本人の書いたものじゃなくて、
アフガ二スタンのSNSで拡散されてるんじゃないかと思う。
でも、アフガニスタンの若い人たちにこんなふうに思われていることに救われた気がした。

アフガニスタン兄弟ネタはいろいろある。
やたら簡単に人が大怪我したり脅迫されたり死んでしまったりする。
もし映画だったらかなり安っぽい展開だ。
これが現実の話だということに毎回言葉を失う。
動揺する私を慰めるのは、大変な目にあっている彼らのほうだ。
戦しか知らずに育ってるのだ。肝の座り方がレベルが違ってあたりまえだ。
だからいいとか悪いとかじゃない。私にはたどり着けない達観ぶりにリスペクトを覚えるとともに
そうならざるを得なかった環境に胸が痛む。

怖いニュースでしか思い出してもらえないアフガニスタン。
アフガニスタンに限らず、怖いニュースでしか思い出してもらえない国も
あたりまえだけど、普通の人が毎日ご飯を作って食べたりおしゃべりしたり、日常を送っている。
送ろうとしている。顔がない国なんてない。

嫌悪より、無関心が、傷つく人を増やしてしまうのだと思う。

中村哲先生のご冥福を心からお祈りします。
私たちにできるのは、まずは、思いを馳せること、だと思う。
自戒もこめて。

中村哲先生が亡くなった日とアフガニスタン兄弟_d0132132_02181224.jpg
バシールからメッセージと共に送られてきた中村哲さんのポートレイト。合掌。

中村哲先生のドキュメンタリー 武器ではなく命の水を 2016年





















# by shantiriot | 2019-12-06 02:21 | 日々のつぶやきもろもろ

RIO :天然石とシルバーの一点もの中心のジュエリーブランドShanti Riotのデザイナー。インドネパールを中心に旅しつつ制作しつつ、まったりとエキサイティングな日々を送っています。Home is where your heart is.


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