人気ブログランキング |

カテゴリ:日々のつぶやきもろもろ( 88 )

18日間のネパール滞在を経て、
インドの北部、ラジャスタン州の州都、ジャイプールに無事到着してます。
今回のネパールは、数日滞在を延長して、
カトマンズから足を伸ばして、ヒマラヤの絶景をちょっとだけ拝めました。

それはそれは神々しいギフトで、つくづく行けてよかったなあと思っていたので
それについて書こうかと思ってたんだけど

昨日の、アフガニスタンの中村哲先生の銃撃事件のニュースを聞いて
もう、とりあえずここを素通りできなくなってしまった。

中村哲先生のアフガニスタンでの活動は
私が書くまでもないのだけど、

彼は、アフガニスタンで医師として活動を行いながら
「診療所を100個作るよりも
用水路をひとつ作ったほうがより多くの命が救える」

と思い立って、自ら設計図を書いて、地元の人々といっしょになって
二年間で用水路を完成させて
荒地を緑に変えて、
60万人に新たな雇用=食べ物を生み出した人。

私のパキスタン人の友人が、中村哲先生の友人で、いっしょに仕事をしていたこともあり、
彼の人としての素晴らしさ、本当に多くの人に尊敬されていることを
長年ずっと聞いていたので、
実際にお会いしたことはないのですが、
勝手に身近な存在に感じていました。

昨日のテレビのニュースは、YouTubeでも見ることができ
ニュースの中でコメントをしていたのは、その友人だった。
友人の、ショックを隠しきれない様子を見て
ああ本当なんだ、本当に殺されちゃったんだ、とひたひた現実がやってきた。

言葉が見つからない。本当に残念でたまらない。

私はアフガニスタンに行ったことはない。

旅をしていてよかったな、と思うことは、
行ったことのない国の人に会えること。
ま、旅してなくたって会えるんだけどさ、
行く場所によって、会える国の人が違ってくるよね。

で、行ったことのない国の人に会えるということは、
その国のニュースを聞いたときの
ニュースの受け取り方が変わってくるということ。

たったひとりでも、その国の人に会ったことがあると
その国の人々に思いを馳せることができる、ということ。

私の友人に
インドに、絨毯やテキスタイルを売りにきているアフガニスタン人の兄弟がいる。
兄弟だけで8人もいて、そのうちインドに来ているのは3人だけなんだけど、
たまに妻とか妹とか連れてくる。
英語が書ける一人を除いては、
毎回会う度にお互いに片言のヒンディー語と英語と身振り手振りをフル活用しての
コミュニケーション。もう10年以上知ってるんだけど、ボキャブラリーは増えないのに
理解度が増してる気がする。

私はジュエリー屋さんなんだけど、テキスタイルも大好きなのだ。
ジャイプールのホテルの部屋に積み上げられた、
何百キロもの、じゅうたんやらドレスやら帽子やらバッグやら何やら怪しい刺繍グッズやら
あさりながら、家族の話や、食べ物の話や、戦争の話をする。
アフガニスタンから山ほどもってきたお茶とかナッツ類とか薦められて、
気づくとあっという間に二時間くらいたっている。

行ったことのないアフガニスタンのイメージが、生き生きしてくる。
白黒映画がカラーにかわるみたい。

唯一英語が書けるバシールには、メッセンジャーで連絡がとれる。
バシールは、30歳になったかならないくらいなんだけど
生まれたときから戦争しか経験していない。
当たり前のように、友人が殺されている。
アフガニスタンの友達と写っている写真を見せてくれると、
「あ、この彼は死んじゃったよ」とか「この彼はこの前あわや銃撃されそうになったよ」
とか平気な顔をして言うので、私はもちろんびびる。
その度に、「しょうがないなあ」みたいな顔をして笑われる。

アフガ二スタンの友人と話していると、つくづく、平和ボケってのは特権だと思う。

アフガニスタンの首都、カブールで
二年くらい前に、ドイツ大使館の前で大爆発が起こったことがあった。
大使館に近づいた、給水車を装った車は、実はガソリンが詰まっていたのだった。

バシールが当時カブールに住んでいたので、
ニュースを聞いて、あわててメッセージを送ったら
彼は、爆破地点から1kmのところに住んでいた。
「地震かと思ったよ。今壁を直してるけど、とりあえず今日は友達のところに泊まる」
と言われてびびる。数日後には、もう自分の部屋に帰っていた。
もう、「大丈夫」の定義が違う。

アフガニスタン兄弟の若い甥っ子は、
家族の反対を押し切って、政府で働きはじめ
家族が恐れていたとおり、乗っていた車が政府反対勢力に銃撃されて
大怪我をおった。でも死んでない。「大丈夫」と言われても私はおろおろした。

中村哲先生の銃撃のニュースを聞いて
アフガニスタン兄弟のことを思い出さずにはいられなかった。

そしたらすぐに、バシールからメッセージが来た。

Losing Dr. Nakamura is very hard,
especially for our Afghan people.
Today Afghanistan lost a true hero and public servant.
He has devoted his life to the medical treatment and land reclamation of vulnerable people in Afghanistan.
My prayers are with Dr. Tetsu Nakamura family during this difficult time.
He will be remembered as a true human being who selflessly worked for the betterment of #Afghanistan. 😭


「ドクター中村を失うことは、私たちアフガニスタン人にとってとても辛いことです。
今日、アフガニスタンは、献身的に公に尽くした真のヒーローを失いました。
彼は、アフガニスタンの弱い立場にいる人たちのために、
医療援助と土地の復興に人生を捧げました。
今とても辛い思いをしている、ドクター中村の家族のために祈りをささげます。
彼は、アフガニスタンの復興に尽くした、無私無欲の真のヒーローとして忘れられない人となるでしょう。
#Afghanistan. 😭

おそらく、これはバシール本人の書いたものじゃなくて、
アフガ二スタンのSNSで拡散されてるんじゃないかと思う。
でも、アフガニスタンの若い人たちにこんなふうに思われていることに救われた気がした。

アフガニスタン兄弟ネタはいろいろある。
やたら簡単に人が大怪我したり脅迫されたり死んでしまったりする。
もし映画だったらかなり安っぽい展開だ。
これが現実の話だということに毎回言葉を失う。
動揺する私を慰めるのは、大変な目にあっている彼らのほうだ。
戦しか知らずに育ってるのだ。肝の座り方がレベルが違ってあたりまえだ。
だからいいとか悪いとかじゃない。私にはたどり着けない達観ぶりにリスペクトを覚えるとともに
そうならざるを得なかった環境に胸が痛む。

怖いニュースでしか思い出してもらえないアフガニスタン。
アフガニスタンに限らず、怖いニュースでしか思い出してもらえない国も
あたりまえだけど、普通の人が毎日ご飯を作って食べたりおしゃべりしたり、日常を送っている。
送ろうとしている。顔がない国なんてない。

嫌悪より、無関心が、傷つく人を増やしてしまうのだと思う。

中村哲先生のご冥福を心からお祈りします。
私たちにできるのは、まずは、思いを馳せること、だと思う。
自戒もこめて。

d0132132_02181224.jpg
バシールからメッセージと共に送られてきた中村哲さんのポートレイト。合掌。

中村哲先生のドキュメンタリー 武器ではなく命の水を 2016年





















by shantiriot | 2019-12-06 02:21 | 日々のつぶやきもろもろ

SNSで、日本やその他の友達の国々の、超寒いレポートを見つつ、

南国の冬は快適よーとか言ってたのが、あっという間に

ここ一週間でこちらも一気に湿度も温度もぐぐっと上がり、昨日は34度だったって。

夜にバイクに乗るのも袖なしでオッケー

むしろそれが一番涼しいので、わざと遠回りして帰ろう、

という季節になりました。

そんな時に朝から午後2時くらいまで停電したりして、

エアコンないのが普通のゴアライフ、

シーズン終盤、日に日に人が少なくなる。

毎日が誰かのゴア最終日。

何も生産的なことができないのを暑さのせいにしているけど

そんな私のゴアライフも後2週間。


うちの生ゴミは、庭のすぐ外にくる牛にあげる。

今日は親子が来た。

d0132132_20452568.jpg

君、お母さんそっくりだねえ。

お昼ご飯作ったばっかりだからかなりフレッシュな野菜くずだよ。


と思っていたら別の子牛がおずおず登場。

d0132132_21053032.jpg


親子か、仲間うちの子か不明だけど

こっちはご飯をもらいにくるのをためらっている。

結局、食べ終わった最初の親子に追いついて、

庭に生えてる草を食べてる。野菜くずほしかったんだろうけど。

コミュニティの中の上下関係もいろいろあるんだろうな。


そして思い出したんだけど、

このお母さん牛、そういえばこの日の午前中に

うちの庭の生ゴミスポットを

チェックしにきてたわ。

食べ物があるか確認した上で子牛を連れてきたのだね。

やるのう、母。

そのわりには子牛を超える勢いで食べてたけど。


その日、牛が去った2時間後に、

見たことのない犬がバルコニーに座っていた。

d0132132_23044976.jpg

あまりにガリガリだったので、

チャパティ2枚あげたらもちろん喜んでた。

どうやら大家の犬と後で出くわしたと思うんだけど、

大家の犬が後で文句を言ってたみたいでしばらく騒がしかった。

チャパティ2枚なんてふざけるな、

俺がしけたパンをあいつらをもらえるのに

何年かかったと思ってるんだ!と言ってたのだきっと。

ちなみに大家の犬、みんなにかわいがられてますよ。

この知らない犬、ちゃっかり二日後にも来た。

大家の犬に文句を言われるのを(きっと)承知できたのね。

またもらったチャパティをくわえて庭の隅っこで食べている。

今まで餌をくれてたツーリストがゴアを出ちゃったのかしら。

野良犬には、これから始まるモンスーンは

餌をくれるツーリストが減る、ハードなシーズンなのだ。

シーズン終盤は、新顔の動物たちが現れる。


カエルはいつもバスルームにいる。

見るたびに、今日もいるのね、と見守られてるつもりになってたんだけど、

今日は同じ見た目のが3匹もいた。

いつも同じカエルを見てると思ってたけど、

実は3匹いたなんて!いつも見守りありがとね!


動物シリーズ、今シーズンはこんなもんかな、と思いきや。

意外な新顔登場。

d0132132_21141987.jpg

うちの相方が、家の前でカラスの子をレスキュー。

木から落ちて足を怪我したらしい。

地上だと、犬にやられそうで、うちのバルコニーに保護した。

たぶん、もう巣立ちの日はすぐだろうというくらいの、赤ちゃんじゃなくて

子どもカラス。水をあげても飲み方がなかなかわからない。

鳥の赤ちゃんって、口をあーんって開けて、母鳥に食べさせてもらうじゃない?

自分で水を取りにいく、という行為がまだマスターできていないらしい。

水を飲もうとして、キャンッ!みたいな音を出した。

すごい小さい仔犬が蹴られたような音は、

「子カラスのくしゃみ」だったらしい。

やばい。

大家の家に最近来た仔犬のマックスをかわいいと思うのと同じようにかわいい。

もう、カラスをたかがカラスとして見られない。


保護したつもりが、その日は外出して、

夜うちに帰ってきたら見事にバルコニーのボックスから脱走していた。

仲間に保護されてるといいけどね、

着地ができないのに無理やり飛んだのかなあ。

カラスをたかがカラスとして見られなくなってしまった私は

やたらとうちに来るカラスたちに話しかけてしまう。

「カラ(名前つけちゃったよ)は大丈夫かねえ?」


そうしたら二日後の朝、

うちの庭の柵に小さいカラスが停まっている。

カラスの恩返し。まだ飛ぶ距離も着地もおぼつかない。

素直に保護される。

d0132132_21585564.jpg
このまま、相方の手乗りカラスで数時間。

試行錯誤して、やっと水を飲ませる。


d0132132_21593215.jpg
ザクロあげても食べないぜいたくな小カラス。

この後、わざわざ子カラス用のスクランブルエッグを作ってもらって満足。


でも、こうしてやらないとなかなか食べられない。

d0132132_22043460.jpg

手乗り子カラスもかわいいけど、他に何もできないので、

数時間後、バルコニーの端っこに止まり木を設置したら

すっかり落ち着いた。当たり前だけど、鳥だから、

地上より、爪をくるんと巻きつけられる止まり木が落ち着くよね。

時々庭を通り抜ける近所の犬を、

子カラスで立ち止まらないように誘導したりして。

庭の周りの木にいる他のカラスたちが時々騒がしくなると

子カラスもそれに応えている。明らかに会話が成り立っている。

帰りたいよねえ。でも君の着地も飛び立つのもまだイマイチだから

ジャングルで生き延びるのは厳しいかもね。

ちゃんと飛べるまでうちにいないかなあ。

d0132132_22080892.jpg

シーズン終わりは、いつも予想外のことが起こる。

去年は、たまにうちにご飯をせびりに来るブサイクな大きな猫が

ある日、頭に大怪我をしてやってきて、

あわててアニマルレスキューに連れていった。

移植手術までしもらって、まるでフランケンシュタインのように復活していた。


この日は気づいたら子カラスにかまけて日が暮れる。

あれもしなきゃこれもしなきゃ、と焦る反面、

なんて貴重な時間だろうと思う。


日本は新しい元号のニュースで沸いてるけど、

ほぼ、西暦で統一してる私は、

令和の令、が命令、みたいな語感だというのもあって、

正直、気持ちを新たに、という気にもなれない。


それより大事なニュースがかき消されているようでそっちが気になる。


インドは、もうすぐ大きな選挙がある。

そのため、ゴアのパーティも10時でさっさと終わる。

インドとパキスタンの関係悪化で、

パキスタン領空をインドからの飛行機は飛べないので

すごい迂回しなくてはならず

国際線のダイヤが乱れている。

出発はするんだけど、大幅に到着が遅れる。


まだまだ揺れ続ける世界、

まずは私が心も体も健康じゃなきゃなあ。

そうじゃないと立ち向かうべきものにも立ち向かえない。


暑いけど、元気にやってますよー。もうすぐマンゴシーズン到来。









by shantiriot | 2019-04-02 23:14 | 日々のつぶやきもろもろ

日本の冬も春もすっ飛ばし続けて

もう10年以上たつ。

毎年、正月と桜の時期は、どこでもドアで一瞬だけ帰りたくなるんだな。

どちらの季節も、私がいる南インドのゴアも負けずにいいシーズンなんだけど、

遠い記憶がくすぐられて、ちょっとそわそわする。


そして最近、このくすぐられる記憶、

というのはけっこう曲者だということに気づいた。

私が恋しい日本の正月は、

さんざんやった、年越しパーティでご来光まで踊り倒してイエーイ!のパターンではなく、

NHKの「ゆく年来る年」で除夜の鐘を聞き、

年越し蕎麦を家族で食べる、にはじまる

「ザ・日本の正月」なのだ。


「ああ懐かしい日本の正月!」といつものように切なくなった今年

果たして、私の懐かしがってる日本の正月っていいつの話なんだろうと思った


家族で年越し蕎麦、

なんて少なくとも中学生までさかのぼるんじゃないだろうか。

年越し蕎麦なんて毎年食べなかったし、

大人になったらもう新年は家族より友達と過ごすものだった。

蕎麦を食べてから、近所の東京大仏まで初詣行ったとか、

そういえばその時父に肩車とかしてもらったような気がする、とか、

くすぐられるも何も、ざくざく掘り起こしてそれからぐいぐい引っ張りだす、

くらいの遠い記憶だ。


しかもその記憶が真なるものかと言われると、

掘り起こそうとすればするほど自信がなくなる。

私には三歳年下の妹がいて、私はやたら「しっかりした姉」ぶってたので

小さい妹の前で、肩車してとか言えなかったような気がするなあ。

ってことは妹が生まれる前の記憶だとしたら、すでにそれは伝聞の記憶じゃないのか、

記憶を追いかけようとするとその情景はどんどんセピア化していって

クリアーどころかぼんやりしていくのにも関わらず、キラキラ輝いてくる。


そんなキラキラした日本の正月の記憶にたどり着くには、

日本にいないここ10年あまりじゃ全く足りない。


そんでその記憶は、初詣の人混みでぐったりしたりことや、

慣れないおせちは味が濃すぎてのすぐにのどが渇いたりだとか、

他愛ないけどまあプラスにもならない記憶は含まない。


あくまでも、キラキラセピア色なのだ。


そこで思い出したのが、

高校生の時にアメリカに留学したときのこと。

アメリカ人と結婚してもう30年以上はアメリカに住んでいる日本人の女性が

ボランティアで私の家庭教師をやってくれていた時期が一瞬あった。

その人が、日本からそんなに遠ざかっているとは思えないほど、

日本人女性のステレオタイプを賞賛する人だった。

大和撫子、とか、三歩下がって、

なんて言葉を本気で使う人に会ったことがなかったのでびっくりした。

その女性のお母さんがどうやらそうだったみたいで、

彼女は自分の母親を誇りに思ってるみたいだった。

どうみても夫にそのように接しているようには見えなかったんだけど、

もう今は自分には届かない日本文化を懐かしがっているようにみえた。

「しかも、あなたの懐かしがるその文化、とっくにないと思うんだけど?」

と思わず言いそうになったけど、大先輩に高校生の、それも英語もろくにしゃべれない留学生の分際で、

生意気言ってはいけないんだろうな、と飲み込んだ。

まだ覚えてるので、よっぽどがんばって飲み込んだんだろうなあ。


たぶん、自分の文化から距離を置いてしまうと

実際見たことのない情景でも、

いいとこどりでセピア色の記憶として

キラキラ存在しはじめるんだろうなあ。


海外生活の長い日本人が、日本にいる日本人より

いわゆる典型的な日本人っぽくてびっくりすることがある。

自分が触れられない分、自分の文化をいいとこどりして美化しちゃうんだろう。

私みたいに毎年定期的に一定期間戻ってきてる人でもあるんだもんね。

ずっと戻ってない人とかよっぽどにちがいない。


いろいろ思い出そうとしてみたら、

花見の時期もけっこう寒いわけで、お尻が冷えちゃったり、

公園のトイレに長蛇の列だったり、

雨降っちゃって桜の花びらが地面でぐちゃぐちゃになっちゃったり、

そんな桜の季節の裏舞台も思い出して可笑しくなる。


裏舞台もひっくるめて、それでも切ない桜の季節。

セピア色のキラキラのあるかないかわからない記憶を

やっぱり愛おしいなあと思うのだ。


今日はインドのお祭り、ホーリー。


ものすごい単純にまとめてしまうと

名目は春の訪れを祝って、お互いに色粉を投げ合う。

エスカレートしすぎるインド人も多々いるので

毎年、最悪のタイミングでどぎつい色で全身染まってしまった外国人が

道端で本気で怒っているのを見る。

私もやられたことがある。

ゴアを出る電車の出発2時間前に、

バイクで外に出たら、頭から緑色の粉だらけになってしまった。

ゴアはホーリーが10日間も続く(!)のでやっかいなのだけど、

毎年この時期は、そろそろゴアのシーズンも終盤なので

ちょっと気持ちが切り替わってくる。

セピア色になる前に次の準備にとりかかろうっと。


Happy Holi!!

d0132132_03124868.jpeg

ホーリー前夜のホーリーファイヤー

近所のヒンズー教寺院の前で、

がんがん打ち鳴らされる太鼓(ホーリードラム)

とセット。
毎年、電線ぎりぎりではらはらする。


by shantiriot | 2019-03-22 03:16 | 日々のつぶやきもろもろ

d0132132_21214823.jpg
私は元気です。みんな元気かな。
あまりにブログやSNSを更新しないと、

誰のせいでもなく

自分で勝手に作り上げたプレッシャーがやってくる。


こまめに更新していると

どうっていうことない日常の些細なことでも

気軽にあげられるはずなのだけど、

ブランクが空いてしまうと、

まあまあ報告するに値すること、を書かなければいけない気がして、

「いやいやこんなことは些細なことすぎる」と

書く内容の重要度にやたら厳しくなる。


私は、日本の冬と春の時期は、南インドのゴアの家に住んでるのだけど、

うちの庭に、鮮やかなグリーンと黄色の鳥が水浴びしに来た!

写真撮れなかったけど!ああありがとうなんて美しいんだ君は!

などは、私にはワクワク度高し、のニュースなんだけど

これって知らない人が写真なしで言われても、なんだかな、って思っちゃうのでは

とか、いらない深読みをしすぎて、書くことから遠ざかってしまう。


しかし人は、美しかった話、より「大変だった話」に惹かれる傾向があるのだなと思う。

美しい場所の話より、珍道中のほうが頭に残るみたいで、

ついつい私のする話も大変だったにかたよりがちで、

いつのまにか自分が「ものすごい経験を積んだ旅人」みたいな位置づけになっていてびっくりすることがある。

とはいえ、飛行機や電車に乗り遅れそうになったり乗り遅れたり、肺炎やら肝炎やら腸炎でぶったおれたり

大変話には事欠かないんだけど、そりゃ特別なケースで、あくまでも自分にとっては普通の生活がベースにある。


どんな非日常も、それが日常になるまで大して時間はかからない。

旅してると、新しく訪れた街のレストランに二日続けて通えばもう、なんちゃってお得意さん。

自分にとっての日常が、それを伝える人にとっては非日常になるということがわかっていると

その温度差をどう扱うか、に戸惑うことがある。

そしてこの戸惑いは、「とにかく伝えてみる」という経験の繰り返しで慣れているのだけど

あまりに伝えることにブランクがあいてしまうと、

不必要に戸惑って、自分で自分に余計なプレッシャーをかけてしまう。


私はひとりで仕事をしてるので

自分のボスは自分で、それは最高なのだが

飴とムチの調整が難しいことが多々ある。

それでも、飴が多すぎるのだ!とムチを打ち、体をこわしちゃったりしてから学んだ。

飴とムチに二分しなくてもよいのだ。

休むときは休む、というのは飴でもムチでもないのだ。

優先事項が健康、ということが一番ぶれちゃいかんのだ。


はい、言い訳が長くなりましたが、健康第一、心も体も元気です。

自分のまわりでも世界でも、大きなニュースも小さいニュースもあげるとキリがないけど、私は元気です。

今シーズンのゴアでは、ヨガの集中コースにも参加してみた。

8日間だったけど、物心ついたときからとにかく文系だった私には、大きな新しい挑戦だった。

子どものときは、本を読んだり、お話を書いたり絵を描いたり、おもちゃとか人形とか作ってみたりとか

とにかく何か作っているのが好きで、近所の子が外で遊ぼうと誘いに来ると

「外で遊んだほうが子どもらしいよな。ほんとは絵描いていたいけど、子どもらしさを保つために遊んでおいたほうがいいよな」

と密かに動機づけて外に出るような子だった。

だからそれなりに外でも遊んでいたし、子どもだから出てしまえばそれなりに楽しいんだけどね。

しっかしめんどくさい子どもだったのね私。子どもらしさを演じてた訳ね。


とにかくそんな子だったので、自分で選ぶとしたらいつも室内だった。

その文系の私が、一日中、自分の体にだけ集中して、

終わったら毎日くたくたに疲れて、でも体の疲れだから、頭の疲れと違って、一晩寝たらすっきり!

というのはシンプルで素晴らしい体験だった。

なんちゃってながらに続けてると、少しづつでも、心も体も応えてくれる。

健康な精神は健康な肉体に宿る、なんて体育会系の筋肉バカの呪いだ、くらいに思ってたのが、ごめんなさい。

体と心は確かにつながっている。


気がつくと今年も3月。南国の冬はとうに終わり、そろそろ蒸し暑くなってきたよ。

ゴア生活もあと一ヶ月、シーズン終盤、みんなぼちぼち移動し始めています。

それから灼熱の砂漠、北インドのラジャスタンを経て、5月と6月はネパールで制作の予定。

そろそろ宿題に持ってきた石たちをいじり始めよう。

d0132132_21110457.jpg

ゴアの家の庭の朝。プラスチックのバケツが目立ってしまうのだけど

この爽やかな朝に注目なのは、フェンスの上のテラコッタの皿。

これが鳥の水浴び場になってる。

d0132132_21204729.jpg
かわいいのう。







by shantiriot | 2019-03-18 21:24 | 日々のつぶやきもろもろ

そもそもの予定では、とっくにネパールに着いて、
ヒマラヤで深呼吸してるはずが
なぜか東京にいます。
インドビザが降りるのが遅れ、
まさかのチケットキャンセルしての、買い直し。

今年は、1月になかよしの若い友達が亡くなって、
4月に父が倒れ、7月に看取ることになり、
同時期に、私のいる、インドのゴア関係の友人が
それぞれ別件で3人(!)も亡くなり
自分のがんばりでは、どうにもこうにもならない試練が
立て続けに起こり、正直がっつんがっつんやられまくった年だった。

追い討ちをかけるように、出発直前に兄の病気が発覚してまたもや動揺。
ああ今年は今までで一番日本を出発しにくいなあ、
でも私が一週間とか一ヶ月とか日本にいたからって
どうなるものでもないもんなあ、
と後ろ髪をひかれていたら、
案の定、動揺ついでにビザ申請の記入間違えで
出発が数日延びることに。

ようやく、明日ネパールに向けて出発。インドビザも無事おりた。

こうなったら、予期せずあいた時間で、
あきらめてたイベントに遊びに行ったり、ついでに、
あきらめてたお墓まいり行ってくることにした。
ちょっと遠いので、どんなにがんばっても半日強かかる。
今年の夏の、父の四十九日は、私たち家族が渋滞に巻き込まれて遅刻、
時間が押して焦ってる坊さんに、大急ぎでお経をあげてもらって
大急ぎで会食へ。お墓の前でしみじみするとか皆無だったので、
あらためてしみじみしに行こうと思ってたのだけど、
時間がないままに出発で
残念だなと思ってたのだ。

パーキンソン病と10年近くつきあった父。
二ヶ月半の点滴のみの入院の末、
最後は生命維持装置を全て外して家に帰ってきてた。
リビングの真ん中に介護ベッドがどーんと置かれ、
全てにおいて介護が必要だった。
完全絶食で、水もなしで15日生きた。
家に帰ってきてから、終始、おだやかな顔をしていた。
生涯を通じて病院勤務、おまけに長いパーキンソン病歴、
チューブをとって、家に帰ってくることが何を意味するか、
全て理解していたと思う。

家に帰って来る前、病院で、父にいきなり、

「ちゃんと、最後まで見届けてね。」と言われたことがあった。

「何を?」と聞き返すと、目をあけて、まっすぐに私を見て、はっきり答えた。

「ぼくを。」

一瞬絶句したけど、こんなに全部をわかってる人に、
来るべき死を否定するほうが酷だと思ったので、
思い切り顔を近づけてものすごいはっきり言ってみた。

「ご心配なくっ!!!ちゃーーーんと私が責任持って見届けてあげるからね、
まかせといて!だいじょうぶ!」

そしたら、父はものすごーーくほっとした顔をした。

入院してから、あまり話せなくなっていたので、表情とか全体の雰囲気から
何を伝えたいか読み取る感覚が、たぶん私もするどくなってたんだろうな。

家に帰ってきた父は、ますます話せなくなっていったけど
なんだか幸せそうな顔だった。

合唱団に属していた父。
合唱団関係のお見舞いの方がうちに見えたとき、
「なんか聞きたい曲ありますか?」と聞かれて
父が、「千の風になって」と言ったので
ユーチューブでかけてみた。

ああそういえば父が合唱団で歌ってたかもねこれ。
私は日本のメジャーな歌謡曲にほんと疎くて、
これも全くどうとは思ってなくて
朗々と歌い上げる感じも髪型も大げさでなんだかなぐらいに思ってた。
つまり、歌詞に注目したこととかなかった。

この曲は、
「私のお墓の前で泣かないでください」
で始まるのだということに初めてこの時気づいた。
風になったり鳥になったり、とにかくお墓にはいないからね、
でも見守ってるからね、という歌、ということは
きっと日本全国の多くの人々は知ってるんだろうけどね

今まさに死に向かっている父親に聞かされたので、
不覚にもちょっとぐっときてしまい

「いやーこれどうなのよーこの状況でこんなベタな選曲!
リアクションに困るじゃん!」
と、死にゆく父に思わずつっこんだら、
父も「ぐっときている」顔をしていた。
その場にいた全員がぐっときて、しばらく言葉を失った。
それから一週間くらいしてかな、亡くなったのは。
本当に、ろうそくの炎がだんだん小さくなるように、眠りについた。
できすぎの看取りだと思った。

父が亡くなって今週で4ヶ月。
それ以来聞いていなかったその歌を
墓地に誰もいなかったのをいいことに。
お墓の前でちょっとかけてみた。

墓の前で泣くな、という歌を聞きながら
まんまと墓の前で、私は鼻を3回かむくらい、ひとりでおいおい泣いてしまった。

ああ、やっと泣けるようになったんだなあ。

亡くなったときは、泣きたくてもなかなか泣けなかった。
葬式で、やたら元気な遺族が、参列者の涙を誘う、という構図がよくわかった。
一緒にいる人を信頼してないから泣けない、とかそんなんじゃないのである。
タイミングを勝手に逃した感があった。
わんわん泣けたら楽なのに、と思っても、わんわんのタイミングがそうそうこない。

亡くなった直後より、あとでじわじわくる、というのが最近よくわかる。

泣かせてくれてありがとう。
まだまだ泣きたりないので、
どこかで号泣ライブ行きたいなあ。

わんわん泣きながらでも前に進めるんだね。
だいじょうぶ、生きてる人も死んでる人も、
私には、強い味方がたくさんいる。

お墓の前で泣くな、と言っておきながら、
ちょっと墓参りしてほしかったのかね、
まあしょうがないわ、不本意だけどトラブルのおかげで来られた訳だし、
これもギフトと思うことにする。

という訳で、明日出発です。今度こそ、ネパール行ってきます。

私は元気です。ありがとう。

↓これをかけてみた。

d0132132_22003097.jpg
父が書いた「海」。誰でも入れるように、何々家の墓、にしたくなかったらしい。















by shantiriot | 2018-11-12 22:04 | 日々のつぶやきもろもろ

出国物語

本来ならば、日本出発は昨日でした。
しかーし、なぜかまだ東京にいる私。

日本からはまずネパールに行って、そこから月末にインドへ。
日本を出発する前にインドビザを取っておいたほうが、
あとで何かとジタバタするのを防げるので、

日本出発ギリギリのタイミングで、インドビザを取得するのですが、

そんでもってビザ申請は、申請書は自分で記入して、
申請は代行会社に任せるのですが、

金曜出発だというのに、月曜に代行会社から電話かかってくる。

なんと「パスポートの発行年の記入間違い」で、
インド大使館からビザ申請書が突っ返されて
ここからまた申請し直しだよ、とのこと。

ああ、またいやな心臓ドキドキが始まる。

しかも、ビザが降りるのは、金曜夕方。
本来ならば、私はもう日本にはいないはず。
しかし、ビザ申請してる途中で日本を出る訳にはもちろんいかず
なぜならパスポートはインド大使館に提出されてるからね。
そんでもって、今週はインドのヒンズー教徒最大のお祭り ディワリ。
日本の正月みたいなもんだ、何もかもストップする感じは。
そう、大使館、木曜日がおやすみなんだそうだ。
だから、ビザが出るのはちょいずれて金曜、それも夕方。

ここは抗ってもらちがあかないので、
平静を装い、「じゃあ土曜にフライトを変更するので、金曜にビザが発行されしだい
御社に直接とりに伺います」と言って代行会社との電話を切る。

フライト変更は、
航空会社じゃなくて、予約したオンライン旅行会社に掛け合わなくちゃいけない。
もともと、航空会社都合によるフライト時間の変更があったので、
数週間前から、このオンライン旅行会社とやりとりしてたんだけど(詳細つまんないので略)

今度は、私都合でフライト変更しなきゃいけなくなって、
何度も電話するはめに。ギリシャに本社があるみたい
まずオペレーターにつなぐまでそりゃあ時間がかかり、
毎回違うオペレーターで、毎回同じ話をしないと通じない。
おまけに途中で電話切れたりね、
そしてまた掛け直すと延々待たされるとかね。
もう本題に入る前にいらっとくる精神修行に欠かせないシチュエーションだったんだけど、

3回目の電話で、やっと、金曜から土曜にフライト変更する手続きにはいる。

「うーん、土曜は、席があるけど差額が高いかもですね。」
「いくらですか?」
「1800ドル」

「ええええ?????」
「そうですね、高いですね」

もともと、東京⇄ カトマンズの往復で 500ドルくらいだった激安チケットである。
それがどうして片道だけ買おうとすると2000ドル近くなるんだ。
航空会社の企みってこわい。

「って、キャンセルして買い直したほうが、絶対安くない?」
「そうですね」
「じゃあもうキャンセルしてください」

「。。。あ、ちょっと待って!土曜は高いけど、次の火曜まで待てば差額も300ドル代!」
「じゃそれで!今すぐカードで支払えます!」

で、支払ったのはいいんだけど(どちらにしろ超くやしいけどさ)

旅行会社からすぐに連絡がくる。
「あなた、カトマンズから東京に来るフライト、全行程乗ってませんね」
「ええ、半分ミスりました。でもそれはもうあなたの会社には数週間前に伝えてある」

「全行程乗ってないひとにはそのあとのフライト変更は不可です」

何そのペナルティ!しかも今更!
出発前の忙しい時に、少なくとも二時間は、
この問題と取り組むことに費やされてしまった。
フライトを変えられないなら変えられないで始めから言ってくれよ

全然、君(旅行会社のオペレーター)には関係ないけど
大変だったんだよ今年の夏、日本に帰国するの。→帰国物語
もっと関係ないけどさ、そのあとも父を看取ったりしてね、
今年の夏すっごい大変だったの。
せめてスムーズに旅立たせてくれよ。

心の声は大騒ぎしていても、さすがにそこを持ち出しても意味がないので
落ち着いてクレームを訴える。謝るどころかスルーするオペレーター。
この人の一存ではどーにもならんのだ。
毎回違うオペレーターで、毎回同じ話(超長い)をしないと通じない。
話が通じてないのは、毎回同じ話をしてないカスタマーが悪いのだ。そうなん??

中略

そんで結局、なんと、もともとのチケットをキャンセルして、
新たにチケットを買い直すことに。
そんな訳で、今日出発はままならず、
まさかの来週13日火曜の出発です。

往復ともに、チケット買い直すことになるとは思わなかった。

インドビザ申請は、まさかの「パスポート発行年の記入間違い」
という凡ミスだったということに
若干自分落ちする。
インドのビザは、ものすごく細かく見られるので
細心の注意で記入しなければいけないので、いちいち緊張する。

ビザ申請の直前、兄の病気が発覚した。
いろんな思いがごちゃごちゃめぐり、
目の前にある食器を、5分くらい探してしまったり、
コーヒーフィルターなしでコーヒーをいれそうになったり
どこか心ここにあらずの状態。

申請書を書きながら、
「やばいなあ、このメンタルで申請書を書いたら、
どっかでミスるなあ。」

と思ってたら案の定。
往復の格安チケット、
行きも帰りも買い直しで、3倍もかかっちゃったよ。

こんな時もある。

今年は、11月のネパール滞在を数日のばして
カトマンズを脱出して山に行ってこようと思ったんだけどな
ちょっと難しいかもなあ。

時間がなくてあきらめていたお墓参りして行こうかな。
行けないはずだった友達のイベントにも行けることになったし。

いろいろあった夏だけど
何はともあれ風邪ひとつひくことなく過ごせて

元気です。

いろいろトラブったときには、
とりあえず自分は元気だということを思い出すようにしている。
そこがあればなんとかなるのだ。足るを知る足るを知る。

自分が元気でいなければ、誰も支えてあげられない。
心も体もメンテして、元気に過ごそうと思います。
ただただ、がんばります!だけだと持たないのはわかってるので
ヘルプが必要な時は SOSを出すことも含めて、メンテしなきゃね。

私はいろんなひとに支えられてるんだなあ
どこにいても。いろんな形で支えてくれるひとがいる。
毎年言ってるけど
年々感謝モードが上がっていく、って素晴らしいことだ。

ありがとう。

来週からネパールです。

出国物語、一話ですみますように。


d0132132_08415192.jpg
深大寺植物公園のバラフェスティバルには毎年行ってる。
食べる以外の五感があっという間に刺激されて一気にテンションがあがる。ああ薔薇酔い。





by shantiriot | 2018-11-10 08:46 | 日々のつぶやきもろもろ

マレーシアに罪はない

南インドのゴア生活も半ばを過ぎ、

だんだん暑い時期がジリジリ近づいてくるのを感じるここ数日。

ゴア生活を一瞬抜け出して、この前さくっとマレーシアに行ってきました。


ビザの関係で、一旦インドを出ないといけなかったので、

やむを得ずのインド脱出。どうせマレーシアに行くのなら、

前回行ったペナン島の国立公園が素晴らしいから

あそこでボーッとして3日で帰ってこようっと。


と、今までになく超軽い荷物に不安さえ覚えながら、

身軽にゴアを後にしたのだけど、


まずは、クアラルンプールに到着すると同時に

持病の膀胱炎が勃発。もう何度もやってる膀胱炎。

抗生物質以外でどうにかする方法はいろいろ試し済みでわかってるんだけど、

出発前は全く健康だったので、

ほとんど膀胱炎グッズを持って出ておらず、

結局涙目でトイレから出られず。


これに追い打ちをかけるのが、実はこの週末は、

中国の旧正月の週末にどんぴしゃり。


チケットを買ってからそのことに気づき、

まあ店は開いていないけど、国立公園でジャングルと戯れてるからいいか、

と思ってたんだけど、甘かった。甘かったよ!


まず、旧正月渋滞を甘くみていた。

日本のお盆の帰省ラッシュと全く同じ。

クアラルンプールからペナンまでは、バスで4時間から6時間かかるのだけど

旧正月の週末の土曜、行きは約8時間かかる。

膀胱炎になった時はとにかく水分補給がかかせないんだけど、

やたらデラックスだがトイレがないバス故、あまり水も飲めず。


滞在したジョージタウンは世界遺産になっている街で、

イギリス植民地時代のコロニアル様式の建築と

中華系がミックスされて、街歩きが楽しい場所

初日は街歩きも何もなかったんだけど

宿を探すのにやっぱりある程度迷い、

不可抗力の街歩き。

d0132132_14244055.jpg
d0132132_14310388.jpg


痛み止めと、一袋だけ持っていたクランベリー濃縮パウダーと、プロポリスでなんとかしのいで、

次の日回復していたら国立公園に行くつもりでいた。

しかし、膀胱炎はそんなにさっさとは治らないのだ。

今までの経験からわかっていたのに、メインイベントをあきらめるのが悔しいので

次の朝、なんとか出かけてみる。

朝ごはんのヌードルを食べながら

一時間のバスの旅を想像して憂鬱になる。

それが憂鬱ならバスの旅のあと、国立公園を3時間のウォーキングなんて、

もう暗雲立ち込める一番暑い時間帯でふらつく自分

しか考えられないので、あほらしくて帰ってくる。

そこまでして観光する意味はない。


気を取り直して、旧正月でも開いてるショッピングセンターは

ドラッグストアがあるということなので

まずはそっちに歩いていってみる。


甘かった。

ドラッグストアが開いてても、薬局部分は閉まってる!

つまり、サプリは買えても薬が買えないのだ。


唯一見つかったのが輸入物のクランベリージュース。

クランベリーは膀胱炎予防に効果があるのは知っていたので

もうすがるように、高くて立派すぎる瓶にはいってるそれを買って

即、指定量の3倍くらい飲む。


すると、10分後になんと!痛みが和らいでいた。

「クランベリーが効くのは膀胱炎の予防であって治療には効果があるという十分なエビデンスがない」

というのをあとでネットで読んだんだけど


はい、私エビデンス!クランベリー愛してる!


しかし、次の日の日曜日、月曜のペナン島からクアラルンプール行きのバスを予約しようとしたら

どの旅行会社でも、満席とのこと。

クアラルンプールからゴアに飛ぶのは月曜夜9時。どうしても次の日ペナンに帰らなきゃ。

しょうがないのでまた小一時間バスに乗り、ペナンのメインのバスターミナルに直接交渉しに行く。

最後のバスだと言われて、割高だけど買う。所用時間は4時間、のはずだったのだが。


月曜の午後、1時間半遅れで出発したバスで、

うとうとから目覚めて窓から外を見ると


「あたし走ったってもうちょっと速いんじゃないか」


という調子なのが延々と続く。帰省ラッシュピーク時って月曜日なのね。

こればかりはバスから降りてタクシーって訳にもいかない超渋滞なので、

もうどうしようもない。どうしようもなさすぎると人はけっこう落ち着くのだ。

2時にはクアラルンプール到着予定で、

先月日本からクアラルンプールに引っ越した友達と落ち合うはずが、

もちろんそこはあきらめるしかない。

せっかくバスターミナルまで来てくれたのに。ほんとにごめんね。


しかし、フライトだ。

恐る恐るバスドライバーに何時にクアラルンプール到着か聞いてみると

「フライト9時?残念だが遅すぎるね、昨日も同じ状況でフライトを逃した人が何人かいたよ」

KLセントラルステーションに着いたのは7時を回っていた。

バスのドライバーには、空港までタクシーで行けと言われたものの、

同じバスのシンガポール人のカップルに、電車のほうが絶対はやい!

言われて、電車に賭けてみる。

成田エクスプレスと同じくらいする

立派なエアポート・エクスプレスが15分に一本で、

次の電車は3分後!というのでダッシュしてなんとか乗る。

国際便出発の1時間20分前にクアラルンプール空港駅に到着。


バスは5時間も遅れて到着したのでした。


搭乗口でやっと腰をおろしたら

じわじわと安堵感と達成感がわいてきて、

膀胱炎のことをすっかり忘れる。


幸せとは、相対的なもんなのだ。

病気が治ったあとの元気は、それまでの元気と

量は同じだとしても、質が違うのだ。元気の評価が上がるのだ。

「膀胱炎だけどフライトは逃さなかったあたし」

と「膀胱炎だけどフライトは別に問題なくのれたあたし」

とは、似て非なるもんなのだ。前者のほうがハッピー評価なわけだ。


しかし、うちに帰るまでが遠足です。

乗り継ぎのバンガロール空港で、

短いけどその時の私には長い夜を明かして

やっとゴアへのフライト!ただいまゴア!お待たせ!


のはずが、


「目的地のゴアが霧のため、この飛行機はバンガロールに引き返すことになりました」

機内アナウンスを聞いた瞬間、聞かなかったことにした。

そんなことはおかまいなしに飛行機はバンガロールに戻り、

結局ゴアには2時間半遅れで到着。たかだか1時間のフライトのはずだったんだけどね。


そのうえその日の朝出発の友達に会うために

ゴア空港で一時間半待ったんだけど

行き違いで結局2秒しか会えず、


ゴアの家に、ボロ切れのようにたどり着いたのでした。

庭のココナッツやマンゴーの木も、

ご飯せびりに来るごつい顔した野良猫も

庭まで迫ってくる牛たちも、

みんなが私におかえりと言っている。

ああ私のベッド。お待たせ。


今回、マレーシアに罪はありません。

国立公園は美しい裏道がたくさんあるしね。

またリベンジしに戻るよ。

膀胱炎のせいで、

辛いものも魚介類も食べてないし、つまりカレー食べてないし。


膀胱炎は気をつけようがないことも多々あるが、

旧正月のマレーシア旅行は気をつけようがあるのでお気をつけください。


by shantiriot | 2018-03-01 14:41 | 日々のつぶやきもろもろ

旅立つ人のメッセージ

立春も旧正月もとっくにすぎたというのに

新年のご挨拶もなにもあったもんじゃないですが、

2018年、元気にスタートしてます。

12月に北インドのジャイプールから南下して、ゴアに着いてもう2ヶ月です。


1月の終わりにゴアの友人が日本で亡くなり、かなり凹んでました。

この前のブログにも書いたのだけど

ゴアのなかよしに、2年くらい前に癌が発覚。

去年の9月に会いにいって、その時も辛そうだったのだけど

それから更に辛そうになっていったので、

11月に日本を出る前に、彼女に会いに鳥取に寄った。


その時も、やっぱりかなりしんどそうだった。

痛みに耐える彼女をみるのが私もとても辛くて、

毎日、どうか痛みをとってあげてほしいと切に祈っていたけど、

痛みから解放されるということと、死ということは、私の中で全くつながっていなかった。


亡くなったという知らせを聞いた日、初めて、

あ、そうか、もう痛くないんだ。

私、痛いのをどうにかしてって毎日お願いしてたじゃん。

そのとおりになったんだ。

願ったとおりになったけど、痛みがなくなることと死はイコールだったということに、その時やっと気づいた。


どこかでわかってたけど、必死で否認していたなあと思う。


11月に鳥取に会いに行って、私が旅立つときに、


あ、やばい、このままだと二人とも号泣してしまう!という空気がよぎったんだけど、

そこを必死にこらえて、すっかりやせ細ってしまった彼女をたくさんハグして、

ふたりとも半分泣き笑い直前、みたいな調子でさよならした。


たぶん、ここで泣いてしまうと、

これが会うのが最後だということをお互い認めざるを得なくなってしまうから、

泣くわけにはいかなかったんだなあ。


だって、本人は、「死が頭をよぎることがある」とは言っていたけど、

次の瞬間にはその不安を必死で振り払い、生きぬいてやるという姿勢が全面に押し出されていた。

本人がそういう調子だったので、結局一度も、死の準備、みたいな話を私とはすることはなかった。

3歳の娘と、夫を残して自分が死ねるわけがない、と思ってたんだろうな。


でも、さよならした後に、自分でもびっくりするほど、ひとりでおいおい泣いてしまった。

考えてみたら、彼女が逝く前に、すでにさんざん泣いていたことに後から気づいた。

悼むのは、その人が亡くなってからとは限らないよ、とゴアの友達に言われた。

しかも彼女が亡くなる前の日に。

それでもやっぱり逝ってしまってからもおいおい泣くんだけど。

死期は自分では選べないとか、魂は永遠に生き続けるとか、ええいろいろ頭では理解してるんだけどね、

やっぱり実際起こってみると、自分のどこかにぽかんと空いた穴はどうやったって痛い。


亡くなった日は、どんな形でもいいから生きていてほしかったと強く思った。

延命治療を希望する家族の気持ちがわかる気がした。

どんなに薬漬けでも、チューブで覆われていようとも、とりあえず今はこの人はまだこっち側にいる。

それがどんなにか細い炎であろうとも、生命がまだ燃えている。こっち側で燃えている、ということに

いちるの望みを託したい、と思うのは無理もないよね。


それから一週間は、毎朝、起きた瞬間に、

ああもうこの世に彼女はいないんだということを思い出しては泣く、という様で、

もう朝からぐったりだったのだけど、悲しいのと同時に、

彼女がもう痛くない、ということに気づいて、しみじみ、心底よかったねえと思えるようになった。


日本のお葬式と同じ日のサンセットに、ゴアのビーチでもセレモニーをした。

花と線香を山ほど買ってきて、彼女の行きつけだったゴアのビーチの、シバ神の頭像を飾り付けた。

セレモニー用にプリントアウトする彼女の写真を探したんだけど、どれももれなく100万ドルの笑顔で、

来た人みんなが、彼女の笑顔がどんなに素晴らしかったかということを口々に語っていた。

満月の前の日だったので、「月は東に日は西に」状態で、日没と同時に月が昇り、柔らかい光が長く続いていた。

彼女はたぶん、100万ドルの笑顔を真っ赤にして、

まるで誕生日のサプライズパーティをやってもらったかのように、

「やだその花ぜんぶあたしのため?きゃあーやめてー!」と恥ずかしがってるような気が、ほんとにした。


その日から、彼女はどこにでもいるようになって、

美しい朝日を見ても、牛乳をこぼしてしまっても、全てが彼女からのメッセージで、

私はしょっちゅう彼女に話しかけている。

いきなり泣き出す私に、彼女は「もーりおちゃん、だからーもう大丈夫だって私!」

と言わんばかりに隣であわあわしているような気がする。


私はそれでもやっぱり泣くんだけど、その時にあわあわしている彼女は、

元気いっぱいの幸せそうな彼女で、私はそれがしみじみ嬉しい。

彼女がいないのはもちろんすごい悲しいんだけど、私を訪ねてくれる彼女は、

亡くなる一週間前にビデオチャットしたときの痛々しい姿ではなく、

いたずらっぽい笑顔の彼女だということに救われる。


一人っ子を亡くしたご両親と、私の友人でもある、彼女の夫の悲しみを思うと、どんな言葉も軽すぎる。

彼女の3歳半の娘は、葬式当日は大変だったみたいだけど、彼女に似てそりゃ天真爛漫で、

葬式の次の日からよく食べよく眠ってるらしい。周りを泣き笑いさせているに違いない。

母親を失ったということはそれは大きなトラウマだけど、大丈夫、周りの人の愛情を一身にうけて

そして、母がどんなに素晴らしい人だったかということをさんざん聞かされて育つはず。

私もその周りの人のうちのひとりになろうと思う。


亡くなる人はいつでもメッセージを残すんだなあ。

日々の諸々の気づきを、勝手にいちいち彼女のメッセージに仕立て上げて

今日も精一杯の1日を送ろうっと。


とりあえずはこれを書かずして他のことを書けないので書いてみた。


ゴアシーズン真っ只中

南国の冬も終わりつつあるよ、

ジーンズ履かなきゃバイクにのれない時期がすでに懐かしい。


私は元気です。みんな元気かな。


d0132132_19340101.jpg


by shantiriot | 2018-02-24 19:39 | 日々のつぶやきもろもろ

毎年恒例の、怒涛のパッキングもどうにかこうにかすませて日本出発、カトマンズに着いてます。

いつも出発前は、整理整頓の苦手意識がすごすぎて、

荷造りをしなければならないシチュエーションに

パブロフの犬のように緊張してしまうのがネックかなと。

でも、今年は、私の尊敬するインド占星術師のけいこさんの名言

「りおちゃんだいじょうぶよ、あなたが何か忘れても、誰も死なないから」

を胸に格闘して、まあまあの余裕でパッキングを終えることができた。

毎年この時期妄想することに、

「寝てる間に小さい私がパッキングをすませてくれる」と

「スモールライトで荷物全てちっちゃくしてしまう。ついでにどこでもドアで出発する。

スモールライトがないと、大きなどこでもドアを持ち歩かなきゃいけないから、スモールライトはどこでもドアとはセットよね云々」

というのがあるんだけど、これくらいの妄想は誰にも迷惑かけないのでよしとする。


今回は、鳥取に3日間寄り道をして、関西空港から飛んだ。

鳥取に住んでいる大切な大切な友人が、大きな病と闘ってるので、応援しに行ってきた。

もともと日本出発予定が例年より遅かったので、

この寄り道でカトマンズの仕事がちょっと遅れてしまうんだけど、

何しろよかったなと思うのは、私のボスは私なので、

いろんな遅れの責任は全部自分でどうにか調整がきく、ということ。

会いたい人に、ちょっと無理をしても会いにいけるという仕事でよかった。

9月にも鳥取に会いに行ってきて、今年はその時だけ、のつもりでいたんだけど

最近の検査の結果がイマイチだというのを聞いて、考えた末に会ってくることにした。

彼女はとても喜んでくれた。本当に本当に会いに行けてよかった。

応援しにいくつもりが、逆に私が応援された。

体力は落ちているといえど、体の状態からは考えられないほどのアクティブさだった。

すっかりやせてしまった彼女の目力に、ものすごいエネルギーをもらった。

生きようとする人間の底力ってすごい。光は、ほんとに眼に宿るんだよ。

何もしてあげられない自分の不甲斐なさに泣けてくる、

かつてない後ろ髪ひかれる出発だったけど、行けなかったらもっと後ろ髪ひかれてた。

彼女の病気ストーリーが大きくなるのに反比例して、

私の抱える「いろいろ大変なこと」は、全て些細なことになった。

まだ小さい娘をはじめ、あなたを愛しているたくさんの人のためにも、

冬本番、乗り切るんだよー。私もがんばる。


出発してから切なくなって、彼女に感情高ぶるメッセージを送ったら、

「ドライヤーどこ置いた?」とレスがきた。

そうなのよ、どんな闘病モードでも、日々の雑雑は続くんだ。

子どもがドライヤー隠したり、ご飯食べてくれなかったり、ところかまわず漏らしたりする。脳天気でやかましい子どもが光だなとつくづく思うのは、私が「たまに会う親戚のおばちゃん」みたいなもんだから言えることで、親は待ったなしで日常にもどされる毎日なのだ。


みなさんもよかったら、どうか鳥取県八頭(やず)のあやに、愛を送ってください。

「何だかまだ死ぬ気がしない」そうだ。その調子で頼むよ。


大阪からの、関西空港行きのバスに、トイレに行っていて乗り遅れ、

でも荷物だけはバスに乗って行っちゃって、私は次のバスで行くことになるという、

ある意味想定内の、自分っぽいエピソードに苦笑していたら、

空港に着いてみたら超混んでいて、余裕を持って鳥取を出たはずが

結局、フライトの最終搭乗案内で滑り込みセーフで乗る、ということに。

滑り込みセーフでもなんでも、乗れたのです。

相変わらずドタバタネタはつきませんが、とにかく私は元気です。


日本シーズン2017でおつきあいいただいた皆さま、

今年もドタバタを温かく見守っていただき、本当にありがとうございました。

私はつくづく周りの人に恵まれてるなと思います。感謝を胸に精進します。


さあネパール!インドは2週間後。

d0132132_13081881.jpg


d0132132_13002810.jpg
初めて行った鳥取砂丘。想像以上にでっかかった。ぱーんと開けた場所に行くと、

ちまちました東京で育った私は、いつも「広い」というだけで興奮する。
ネパールは海なし国なので、海は来月のゴアまでお預け。


by shantiriot | 2017-11-16 13:23 | 日々のつぶやきもろもろ

ジャイアン効果について

前回のブログは、自分の鼻ピアスの話をしたのだけど、

ちょっと違う見た目に対する、人々の反応についてもうひとつ。


私は、初対面の人に、ちょっとびっくりされることが多い。

やたらピアスが多いからか、

変わった布とか巻いてたりすることもあるので

私もちょっと変わった人と思われるんだろうな。


ただ、そんなん今に始まったことじゃなく、

もうずーっと長いことこうなのだ。

自分なりの対処法が、あるにはある。


ずいぶん前に、

女性誌の編集長をしている男性のお客さんから教わったもので、


それは、初対面の相手に対して、


「私は、『自分がちょっと変わっている』ということをちゃんとわかってますよ!」

というオーラをかもしだして対応する。


というものだ。

これを聞いたとき、私は間違っていなかった!と膝をたたいた。

それまでなんとなくしてきた事を言語化されたようでうれしかったのだ。


まず、

自分がパッと見はちょっと変わって見られる、というのは、

本当に、特に奇をてらってるわけではないのだけど、

いまさら、もういい加減、あきらめたほうがいい客観的な事実で。


そりゃそうなのだ、いくら最近ちょっとだけ市民権を得てきた(ちょーっとだけね)

と言ったって、牛でもないのに鼻に大きめの輪っかが揺れてるのだ。

だいたいの人はびっくりして、びっくりしてないふりをするのだ。

あたりまえだ。そんなリアクションが不快なら最初っからそんな格好しなけりゃいいのだ。


そこで、「いや、私は自分で自分のことフツーだと思ってるんだけど」

なんて発想は、もはやどうでもいい。

ここは、自分が「まずはちょっとひかれるパッと見」だということを受け入れたうえで、

相手にできるだけ丁寧に丁寧に接する。


そうすると「この人は、見た目よりずいぶんまともだ!」と思ってくれるらしく、

プラスになることが多い。


今 Shanti Riot展開催中のコーツトカフェのオーナー、椿ちゃんにこの話をしたら


「りおさん、それはジャイアン効果ですね!」と言われた。


そうだ、私は、常識も社会性も、まあまあ持ち合わせてるんじゃないかと思うんだけど、

「パッと見がエキセントリックだけど、実はけっこう社会性がある」ということは

「いつもは乱暴なジャイアンが優しいと、普通の人が優しいより、余計優しく見えてしまう」

と同じ効果があるのだ。きっと。


そう考えると、けっこう自分もジャイアン効果に惑わされているんだろうな。

たとえば、タトゥーやドレッドもりだくさんな人はソフトな人が多い、とか。

あ、私が日本の冬に滞在しているインド南部のゴアは、タトゥー率もドレッド率も非常に高いんだけど、なかでも多少の差はあって、ほんとにゴテゴテの人は、話すとソフトで、わりとシャイだったりする。ってのもジャイアン効果もあるんではないだろうか。


と考えると、私けっこうこの見た目で得をしてることもあるんだろうな。


いや、でも、私がもし超普通の見た目でも、

まあまあ普通に社会性あると思ってもらえると

思いますよ。


台風がじわじわ迫る週末ですが、期日前投票をサクッと済ませて

会いに来てください。私は来週の火曜まで谷中のコーツトカフェに入り浸ってる予定です。


その後は、10月28日(土)29日(日)の代々木公園のアースガーデンで、

Shanti Riot 日本シーズン2017(毎回呼び方が変わる)は店じまい。

11月早々にはネパールに旅立つ予定。

旅立てるのか、と毎年書いてますが、ほんとに毎年そう思う。

d0132132_19223406.jpg
菩提樹リング オパール(オーストラリア)シルバー

リング全体が菩提樹の木に見立てられています。

木の幹は、シルバーのワイヤーを一本一本ろう付けして、

木の幹の模様を刻んでいます。
Banyan ring Opal (Australian) silver



by shantiriot | 2017-10-20 19:32 | 日々のつぶやきもろもろ

RIO :天然石とシルバーの一点もの中心のジュエリーブランドShanti Riotのデザイナー。インドネパールを中心に旅しつつ制作しつつ、まったりとエキサイティングな日々を送っています。Home is where your heart is.
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31