2020年 01月 02日
イベント感のないイベントの幸せ
おかげさまで今年も元気に新年を迎えられました。
南インドのゴアに着いてます。
今年もよろしくお願いします。
大晦日、
ビーチでサンセット乾杯して、
家に帰って、相方が作ってくれたパスタを食べたら
猛烈な眠気に襲われる。
炭水化物ノックアウトで
危うくそのまま寝て終わりそうになったのを
無理やり起きて
ゴアのレストランのこじんまりとしたテクノパーティに出かける。
友達とカウントダウンして一杯やって
大人しく帰宅してぐっすり寝たら。
新たな10年がスタートしていた。
この元旦は毎年恒例の新年のパーティにも行かず、
家でのんびり。
昨日と同じ今日で、
新年気分がほとんどないことに
拍子抜けする。
でも、おだやかな新年も悪くない。
新年も
誕生日も
昔はもっとイベント感があった気がする。
でも最近は、イベント感よりも
ああ今年もこの日を迎えられてよかったなあ
としみじみする感のほうが大きい。
私の母は、
ちょくちょく独自の発想をする人で
自分で自分をすごい普通の人だと思ってるので
周りが困ることも多いけど、
面白い時は面白い。
18歳になった時に
母に宣言された。
「誕生日おめでとう、
これからは、誕生日は
お祝いしてもらうよりも
産んで育ててくれた親に本人が感謝する日だと思うの。
そういうわけで、誕生日プレゼントとか、もうなしね!」
ええ?
そうなの?
なんで18歳が区切りだかわからなかったけど
「なんとなく」
の一言で終わってしまった気がする。
そういう訳で、
それ以来親から誕生日プレゼントをもらうことはない。
そのかわり、今でも毎年
自分の誕生日は、実家にありがとうの電話をする。
毎年、
「あなたが生まれた日は
本当に天気がよくて緑が美しくてキラキラしてて」
と同じ話をされる。
去年の誕生日も
実家に電話して、母と同じ会話をした。
でも去年は、今までずっと
電話でありがとうを言ってきた父はいなくて、
そうか、死んじゃうってそういうことか
と改めてもう彼がいないということを実感した。
この12月に、82歳の叔母が亡くなった。
母の7歳上の姉だった。
ずっと具合はよくなかったけど
みんな、まさかこんなに早いとは思っていなかった。
誰もがお見舞いに行けないままに、パートナーに介護され、自宅で息をひきとった。
私は、1年半前に当時彼女が入院していた病院に会いに行ったのが最後だった。
日本出発の前日だったけど、無理して行ってよかった。
10年以上ぶりに会う叔母は、もともと小さい人が
ほんとに小さくなっていた。でも少女みたいな笑顔はそのままで
私の着てるものやらジュエリーやらに驚きながらも
嬉しそうだった。
叔母の葬式が終わった後、母に電話したら、感慨深げに言っていた。
「誰かが亡くなった時に
おいくつだったの、って聞いて
82って言われたら、
あ、そうか、まあそういう事あるわよね
そういう歳よね
って思うけどさ、やっぱり姉だと違うわよねえー
って考えてみたら、私7つ下なだけなのよね
そんな遠い話でもないのよね、ってふいに気づいてさー」
それから数日後、母からメッセージがきた。
「姉ロスも、
80代は人生の夕方だと思って
自分のやり方を考えるきっかけにしよう、と思っています。」
人生の夕方ね。楽しみ方は自分次第よね。
父が亡くなって、1年の大半を一人暮らしすることになった母が
いちいち心配になってたんだけど
この人、大丈夫かもなと思った。
新年も、誕生日も
何よりも、今年もまたこの日がきたね
と言える人がいる、ということが一番うれしい。
パーティに行ったり
家でゆっくりしたり
どんなふうに正月を過ごそうとも
今年も、近くにも遠くにも
同じ年を迎えられた、私の大切な人たちがいる。
「あたりまえ」のありがたさに思いを馳せる、
おだやかな正月も悪くない。
みなさんにとって新しい年が
たくさん笑える年でありますように。
今年もよろしくお願いします。
