2019年 12月 31日
忘れ物と旅立ちの時(ゴアに着いたよ)
北インドのラジャスタン州から
27時間の列車の旅の末、南インドのゴアに到着してます。
27時間というとびっくりされるけど
この週一回の列車が、ラジャスタン州からゴアまでの唯一の直行便。
1600kmの距離を、陸路では一番速く移動できるのだ。
毎週金曜の朝に、ラジャスタン州の州都、ジャイプールを出発し、
その夜は車中泊、次の日のお昼くらいにゴアに到着。
まあ1時間や2時間遅れることは珍しくないのだけど
割と時間通りに着くこともある。
インドは何かと時間通りにいかないので
27時間の予定が20分遅れで着いたりすると感動する。
それだって遅れてる!のだけど、
これくらい、ほぼ時間通りと言っていい。
怒ったら負け、とも言える。
そんな訳で毎回、自分の許容範囲を試されるインドだけど、
この列車の旅、私けっこう嫌いではない。
パッキングが大の苦手の私は、
出発前日の夜は毎回緊張して寝付けない。
何か忘れてるような気がするんだけど
毎回、実際何かを忘れてきたので、不安材料に事欠かない。
小学生の時、自転車で駅まで行ったことを忘れて歩いて帰ってきたとか、
田舎まで行った夜行列車の網棚にリュック忘れてきちゃったりとか
鍵っ子だったのに、家の鍵を忘れるのは日常茶飯事で
二階までよじ登って、ベランダから侵入するのを近所のおばさんに見つかっちゃったりとか、
(ちなみに、登ることはできても降りることができなかった。
ベランダの扉が閉まってたら
ベランダで誰かの帰りを待つことになってけっこう恥ずかしいので
毎回、ベランダが開いてるかどうか賭けだった)
他に誰もほしくない、忘れ物クイーンという称号を欲しいままに育ってきたので
いまいち、大丈夫、全部持ってるよ、という成功例が足りないのだ。
こんなに長く旅生活を続けてるのに
つねに、何か忘れてるかも、の緊張感はあって
よくこのライフスタイル保ってるなと自分でも思うんだけど
大きなスーツケースその他やたらある荷物を
列車にどんと乗せて、自分の席に陣取って
ゆっくり列車が動き出した瞬間、
あれだけあった、何か忘れてるかも、という緊張感が、
何を忘れていようが今更どうしようもない、という安堵感にかわる。
安堵感じゃなくて諦め、とも言えるかもしれないけど
この、緊張が一気にほぐれる瞬間が毎回快感なのだ。
もう、動き出しちゃったもんね。
つまり、今持ってるものしか持ってない。
持ってないものは持ってない。
なければないなりにどうにかすればいいし、するしかない。
もう選択の余地はない。
だって、動き出しちゃったもんね、出発進行ー!
と、いきなり晴れ晴れとした気持ちになる。
この瞬間は、
タクシーが動きだすとき、
バスが動きだすとき、
飛行機が飛び立つとき、
にもそれぞれあって、それぞれ快感。
いかん、この快感を生み出すために
私は余計な緊張感を不必要に盛り上げていないか?と思うくらい。
それはそれでちょっと屈折していてめんどくさい傾向だと思うので、
ここ数年は、私の尊敬するインド占星術師の敬子女史にもらったありがたいお言葉
「りおちゃんが何を忘れても誰も死なないから」
を思い出しながらパッキングと対峙している。
そんなわけで、旅の始まりは常に安堵感から始まるので
列車に限らず快感なのだけど、
12月の、ラジャスタンからゴアまでのこの列車の旅は、
寝台で目がさめると冬が夏に変わっているので、わくわくする。
12月のジャイプールでは、最低気温は8度、ホテルの部屋に小さいヒーターを入れて
足湯とかしちゃって、外出るときは
ショールぐるぐる巻きで帽子かぶって、とフル装備なのだけど、
そこから出発して、列車の中で一夜明けたら
ココナッツツリーがわさわさして全てが緑。
何よりカラカラに乾いた砂漠地帯のラジャスタン州からくると、
しっとりした空気が(最初は)もうありがたくて、にやけてしまう。
トンネルを抜けるとそこは。。。みたいな、
パンパカパーン、さあジャングルですよ、
緑ですよー深呼吸してください!
というモードになって一気にあがる
そりゃ、エアコンが効きすぎて寒かったりとか
同じ車両のインド人観光客が好奇心旺盛すぎたりとか、
もちろん身の回りの持ち物には気を配らなきゃいけないけど、
到着するのが、南国の冬という快適な気候なので、余計達成感があるのかも。
ちなみに、列車を含め、公共の場では自己紹介を細かにしないようにしている。
ジュエリーを持ってるので、貴重品が人より多い。
誰が聞いてるかもわからないので、
やんわりとあたりさわりのないフツーの旅人の会話にとどめる。
たまに他の旅行者が、ローカルの人に聞かれる質問に
ご丁寧に素直に全部答えてるのを見るとハラハラする。
質問をする人に悪意がなくても
ぎゅうぎゅうのバスの中、みんながみんなそうとは限らない。
たいていの場合大丈夫だけど、
自分の情報を、知らない人たくさんと無防備にシェアすることは
ちょっと危ない。
今回の列車では、同じ車両で、
やたらニコニコ顏の若者が隣に座った。
ラジャスタン州のジャイプールの郊外で獣医をしていて
病気の山羊とか牛とかバッファローの治療をしているという。
面白いので彼の話をいろいろ聞いてたら
やっぱり私のこともいろいろ聞かれた。
「日本人?総理大臣知ってるよ!習近平!」
仕事は何かはもちろん、学歴まで無邪気に聞かれ、
苦笑してごまかしていた。
それでもしつこく聞いてきた彼は、ついに、
同じ車両に座っていた南インド人のカトリックの年配のシスターに
お説教されることに
「どこの国とかくらいはいいけど
学歴なんて聞いてどうするの、そんな個人的なことを
根ほり葉ほり聞くんじゃありません!」
「いや、でもそんなつもりは」
「聞くんじゃありません!」
みたいな感じで、彼の好奇心はきっぱり封印されてしまった。
居心地の悪くなった彼が席を外したとき、シスターが私に
「勝手に叱っちゃったけど、よかったかしら、だって余計なこと聞きすぎよねあの子」
とにっこり。正直ほっとした私はお礼を言った。
前日全然寝られなかったのでその日は列車の寝台でぐっすりだった。
エアコンの車両はシーツと枕とすっごい重いブランケットがくばられる。
寝ても寝てもまだ寝てていい、という時はそうそうないので寝たいだけ寝る。
次の日の朝起きてきたら、シスターが私を見て
「よく寝てたわね。すっごいむくんでる」
とにっこりされた.
知らない人に起き抜けに、
むくんでると指摘されることはそうそうない。
しょうがないので、
私もにっこりして
「ありがとう、でも放っておいてください」と返した。
何が「余計なこと」なのかわからなくなるインド。
「これを言ったりやったら失礼にあたる」という基準は、文化によってそれぞれだなあと毎回思う。
とにかく元気にゴアに到着しています。
今年は急に新しい家を探さなければならない展開になって
思わぬストレスとともにスタートだけど、元気です。
2019年も、近くの人にも遠くの人にもお世話になりました。
おかげで今年もゴアで年越しができることに感謝。
同じ顔に、同じように会えることのありがたさが年々増していく。
去年も今年もかわらぬ合言葉は「健康は宝」
元気です。ありがとう。
