2019年 12月 06日
中村哲先生が亡くなった日とアフガニスタン兄弟
18日間のネパール滞在を経て、
インドの北部、ラジャスタン州の州都、ジャイプールに無事到着してます。
今回のネパールは、数日滞在を延長して、
カトマンズから足を伸ばして、ヒマラヤの絶景をちょっとだけ拝めました。
それはそれは神々しいギフトで、つくづく行けてよかったなあと思っていたので
それについて書こうかと思ってたんだけど
昨日の、アフガニスタンの中村哲先生の銃撃事件のニュースを聞いて
もう、とりあえずここを素通りできなくなってしまった。
中村哲先生のアフガニスタンでの活動は
私が書くまでもないのだけど、
彼は、アフガニスタンで医師として活動を行いながら
「診療所を100個作るよりも
用水路をひとつ作ったほうがより多くの命が救える」
と思い立って、自ら設計図を書いて、地元の人々といっしょになって
二年間で用水路を完成させて
荒地を緑に変えて、
60万人に新たな雇用=食べ物を生み出した人。
私のパキスタン人の友人が、中村哲先生の友人で、いっしょに仕事をしていたこともあり、
彼の人としての素晴らしさ、本当に多くの人に尊敬されていることを
長年ずっと聞いていたので、
実際にお会いしたことはないのですが、
勝手に身近な存在に感じていました。
昨日のテレビのニュースは、YouTubeでも見ることができ
ニュースの中でコメントをしていたのは、その友人だった。
友人の、ショックを隠しきれない様子を見て
ああ本当なんだ、本当に殺されちゃったんだ、とひたひた現実がやってきた。
言葉が見つからない。本当に残念でたまらない。
私はアフガニスタンに行ったことはない。
旅をしていてよかったな、と思うことは、
行ったことのない国の人に会えること。
ま、旅してなくたって会えるんだけどさ、
行く場所によって、会える国の人が違ってくるよね。
で、行ったことのない国の人に会えるということは、
その国のニュースを聞いたときの
ニュースの受け取り方が変わってくるということ。
たったひとりでも、その国の人に会ったことがあると
その国の人々に思いを馳せることができる、ということ。
私の友人に
インドに、絨毯やテキスタイルを売りにきているアフガニスタン人の兄弟がいる。
兄弟だけで8人もいて、そのうちインドに来ているのは3人だけなんだけど、
たまに妻とか妹とか連れてくる。
英語が書ける一人を除いては、
毎回会う度にお互いに片言のヒンディー語と英語と身振り手振りをフル活用しての
コミュニケーション。もう10年以上知ってるんだけど、ボキャブラリーは増えないのに
理解度が増してる気がする。
私はジュエリー屋さんなんだけど、テキスタイルも大好きなのだ。
ジャイプールのホテルの部屋に積み上げられた、
何百キロもの、じゅうたんやらドレスやら帽子やらバッグやら何やら怪しい刺繍グッズやら
あさりながら、家族の話や、食べ物の話や、戦争の話をする。
アフガニスタンから山ほどもってきたお茶とかナッツ類とか薦められて、
気づくとあっという間に二時間くらいたっている。
行ったことのないアフガニスタンのイメージが、生き生きしてくる。
白黒映画がカラーにかわるみたい。
唯一英語が書けるバシールには、メッセンジャーで連絡がとれる。
バシールは、30歳になったかならないくらいなんだけど
生まれたときから戦争しか経験していない。
当たり前のように、友人が殺されている。
アフガニスタンの友達と写っている写真を見せてくれると、
「あ、この彼は死んじゃったよ」とか「この彼はこの前あわや銃撃されそうになったよ」
とか平気な顔をして言うので、私はもちろんびびる。
その度に、「しょうがないなあ」みたいな顔をして笑われる。
アフガ二スタンの友人と話していると、つくづく、平和ボケってのは特権だと思う。
アフガニスタンの首都、カブールで
二年くらい前に、ドイツ大使館の前で大爆発が起こったことがあった。
大使館に近づいた、給水車を装った車は、実はガソリンが詰まっていたのだった。
バシールが当時カブールに住んでいたので、
ニュースを聞いて、あわててメッセージを送ったら
彼は、爆破地点から1kmのところに住んでいた。
「地震かと思ったよ。今壁を直してるけど、とりあえず今日は友達のところに泊まる」
と言われてびびる。数日後には、もう自分の部屋に帰っていた。
もう、「大丈夫」の定義が違う。
アフガニスタン兄弟の若い甥っ子は、
家族の反対を押し切って、政府で働きはじめ
家族が恐れていたとおり、乗っていた車が政府反対勢力に銃撃されて
大怪我をおった。でも死んでない。「大丈夫」と言われても私はおろおろした。
中村哲先生の銃撃のニュースを聞いて
アフガニスタン兄弟のことを思い出さずにはいられなかった。
そしたらすぐに、バシールからメッセージが来た。
Losing Dr. Nakamura is very hard,
especially for our Afghan people.
Today Afghanistan lost a true hero and public servant.
He has devoted his life to the medical treatment and land reclamation of vulnerable people in Afghanistan.
My prayers are with Dr. Tetsu Nakamura family during this difficult time.
He will be remembered as a true human being who selflessly worked for the betterment of #Afghanistan. 

「ドクター中村を失うことは、私たちアフガニスタン人にとってとても辛いことです。
今日、アフガニスタンは、、献身的に公に尽くした真のヒーローを失いました。
彼は、アフガニスタンの弱い立場にいる人たちのために、
医療援助と土地の復興に人生を捧げました。
今とても辛い思いをしている、ドクター中村の家族のために祈りをささげます。
彼は、アフガニスタンの復興に尽くした、無私無欲の真のヒーローとして忘れられない人となるでしょう。
#Afghanistan.
」

おそらく、これはバシール本人の書いたものじゃなくて、
アフガ二スタンのSNSで拡散されてるんじゃないかと思う。
でも、アフガニスタンの若い人たちにこんなふうに思われていることに救われた気がした。
アフガニスタン兄弟ネタはいろいろある。
やたら簡単に人が大怪我したり脅迫されたり死んでしまったりする。
もし映画だったらかなり安っぽい展開だ。
これが現実の話だということに毎回言葉を失う。
動揺する私を慰めるのは、大変な目にあっている彼らのほうだ。
戦しか知らずに育ってるのだ。肝の座り方がレベルが違ってあたりまえだ。
だからいいとか悪いとかじゃない。私にはたどり着けない達観ぶりにリスペクトを覚えるとともに
そうならざるを得なかった環境に胸が痛む。
怖いニュースでしか思い出してもらえないアフガニスタン。
アフガニスタンに限らず、怖いニュースでしか思い出してもらえない国も
あたりまえだけど、普通の人が毎日ご飯を作って食べたりおしゃべりしたり、日常を送っている。
送ろうとしている。顔がない国なんてない。
嫌悪より、無関心が、傷つく人を増やしてしまうのだと思う。
中村哲先生のご冥福を心からお祈りします。
私たちにできるのは、まずは、思いを馳せること、だと思う。
自戒もこめて。
中村哲先生のドキュメンタリー 武器ではなく命の水を 2016年
by shantiriot
| 2019-12-06 02:21
| 日々のつぶやきもろもろ