2019年 03月 18日
不必要なプレッシャー(書けばよいのだ)

あまりにブログやSNSを更新しないと、
誰のせいでもなく
自分で勝手に作り上げたプレッシャーがやってくる。
こまめに更新していると
どうっていうことない日常の些細なことでも
気軽にあげられるはずなのだけど、
ブランクが空いてしまうと、
まあまあ報告するに値すること、を書かなければいけない気がして、
「いやいやこんなことは些細なことすぎる」と
書く内容の重要度にやたら厳しくなる。
私は、日本の冬と春の時期は、南インドのゴアの家に住んでるのだけど、
うちの庭に、鮮やかなグリーンと黄色の鳥が水浴びしに来た!
写真撮れなかったけど!ああありがとうなんて美しいんだ君は!
などは、私にはワクワク度高し、のニュースなんだけど
これって知らない人が写真なしで言われても、なんだかな、って思っちゃうのでは
とか、いらない深読みをしすぎて、書くことから遠ざかってしまう。
しかし人は、美しかった話、より「大変だった話」に惹かれる傾向があるのだなと思う。
美しい場所の話より、珍道中のほうが頭に残るみたいで、
ついつい私のする話も大変だったにかたよりがちで、
いつのまにか自分が「ものすごい経験を積んだ旅人」みたいな位置づけになっていてびっくりすることがある。
とはいえ、飛行機や電車に乗り遅れそうになったり乗り遅れたり、肺炎やら肝炎やら腸炎でぶったおれたり
大変話には事欠かないんだけど、そりゃ特別なケースで、あくまでも自分にとっては普通の生活がベースにある。
どんな非日常も、それが日常になるまで大して時間はかからない。
旅してると、新しく訪れた街のレストランに二日続けて通えばもう、なんちゃってお得意さん。
自分にとっての日常が、それを伝える人にとっては非日常になるということがわかっていると
その温度差をどう扱うか、に戸惑うことがある。
そしてこの戸惑いは、「とにかく伝えてみる」という経験の繰り返しで慣れているのだけど
あまりに伝えることにブランクがあいてしまうと、
不必要に戸惑って、自分で自分に余計なプレッシャーをかけてしまう。
私はひとりで仕事をしてるので
自分のボスは自分で、それは最高なのだが
飴とムチの調整が難しいことが多々ある。
それでも、飴が多すぎるのだ!とムチを打ち、体をこわしちゃったりしてから学んだ。
飴とムチに二分しなくてもよいのだ。
休むときは休む、というのは飴でもムチでもないのだ。
優先事項が健康、ということが一番ぶれちゃいかんのだ。
はい、言い訳が長くなりましたが、健康第一、心も体も元気です。
自分のまわりでも世界でも、大きなニュースも小さいニュースもあげるとキリがないけど、私は元気です。
今シーズンのゴアでは、ヨガの集中コースにも参加してみた。
8日間だったけど、物心ついたときからとにかく文系だった私には、大きな新しい挑戦だった。
子どものときは、本を読んだり、お話を書いたり絵を描いたり、おもちゃとか人形とか作ってみたりとか
とにかく何か作っているのが好きで、近所の子が外で遊ぼうと誘いに来ると
「外で遊んだほうが子どもらしいよな。ほんとは絵描いていたいけど、子どもらしさを保つために遊んでおいたほうがいいよな」
と密かに動機づけて外に出るような子だった。
だからそれなりに外でも遊んでいたし、子どもだから出てしまえばそれなりに楽しいんだけどね。
しっかしめんどくさい子どもだったのね私。子どもらしさを演じてた訳ね。
とにかくそんな子だったので、自分で選ぶとしたらいつも室内だった。
その文系の私が、一日中、自分の体にだけ集中して、
終わったら毎日くたくたに疲れて、でも体の疲れだから、頭の疲れと違って、一晩寝たらすっきり!
というのはシンプルで素晴らしい体験だった。
なんちゃってながらに続けてると、少しづつでも、心も体も応えてくれる。
健康な精神は健康な肉体に宿る、なんて体育会系の筋肉バカの呪いだ、くらいに思ってたのが、ごめんなさい。
体と心は確かにつながっている。
気がつくと今年も3月。南国の冬はとうに終わり、そろそろ蒸し暑くなってきたよ。
ゴア生活もあと一ヶ月、シーズン終盤、みんなぼちぼち移動し始めています。
それから灼熱の砂漠、北インドのラジャスタンを経て、5月と6月はネパールで制作の予定。
そろそろ宿題に持ってきた石たちをいじり始めよう。

ゴアの家の庭の朝。プラスチックのバケツが目立ってしまうのだけど
この爽やかな朝に注目なのは、フェンスの上のテラコッタの皿。
これが鳥の水浴び場になってる。
