旅立つ人のメッセージ

立春も旧正月もとっくにすぎたというのに

新年のご挨拶もなにもあったもんじゃないですが、

2018年、元気にスタートしてます。

12月に北インドのジャイプールから南下して、ゴアに着いてもう2ヶ月です。


1月の終わりにゴアの友人が日本で亡くなり、かなり凹んでました。

この前のブログにも書いたのだけど

ゴアのなかよしに、2年くらい前に癌が発覚。

去年の9月に会いにいって、その時も辛そうだったのだけど

それから更に辛そうになっていったので、

11月に日本を出る前に、彼女に会いに鳥取に寄った。


その時も、やっぱりかなりしんどそうだった。

痛みに耐える彼女をみるのが私もとても辛くて、

毎日、どうか痛みをとってあげてほしいと切に祈っていたけど、

痛みから解放されるということと、死ということは、私の中で全くつながっていなかった。


亡くなったという知らせを聞いた日、初めて、

あ、そうか、もう痛くないんだ。

私、痛いのをどうにかしてって毎日お願いしてたじゃん。

そのとおりになったんだ。

願ったとおりになったけど、痛みがなくなることと死はイコールだったということに、その時やっと気づいた。


どこかでわかってたけど、必死で否認していたなあと思う。


11月に鳥取に会いに行って、私が旅立つときに、


あ、やばい、このままだと二人とも号泣してしまう!という空気がよぎったんだけど、

そこを必死にこらえて、すっかりやせ細ってしまった彼女をたくさんハグして、

ふたりとも半分泣き笑い直前、みたいな調子でさよならした。


たぶん、ここで泣いてしまうと、

これが会うのが最後だということをお互い認めざるを得なくなってしまうから、

泣くわけにはいかなかったんだなあ。


だって、本人は、「死が頭をよぎることがある」とは言っていたけど、

次の瞬間にはその不安を必死で振り払い、生きぬいてやるという姿勢が全面に押し出されていた。

本人がそういう調子だったので、結局一度も、死の準備、みたいな話を私とはすることはなかった。

3歳の娘と、夫を残して自分が死ねるわけがない、と思ってたんだろうな。


でも、さよならした後に、自分でもびっくりするほど、ひとりでおいおい泣いてしまった。

考えてみたら、彼女が逝く前に、すでにさんざん泣いていたことに後から気づいた。

悼むのは、その人が亡くなってからとは限らないよ、とゴアの友達に言われた。

しかも彼女が亡くなる前の日に。

それでもやっぱり逝ってしまってからもおいおい泣くんだけど。

死期は自分では選べないとか、魂は永遠に生き続けるとか、ええいろいろ頭では理解してるんだけどね、

やっぱり実際起こってみると、自分のどこかにぽかんと空いた穴はどうやったって痛い。


亡くなった日は、どんな形でもいいから生きていてほしかったと強く思った。

延命治療を希望する家族の気持ちがわかる気がした。

どんなに薬漬けでも、チューブで覆われていようとも、とりあえず今はこの人はまだこっち側にいる。

それがどんなにか細い炎であろうとも、生命がまだ燃えている。こっち側で燃えている、ということに

いちるの望みを託したい、と思うのは無理もないよね。


それから一週間は、毎朝、起きた瞬間に、

ああもうこの世に彼女はいないんだということを思い出しては泣く、という様で、

もう朝からぐったりだったのだけど、悲しいのと同時に、

彼女がもう痛くない、ということに気づいて、しみじみ、心底よかったねえと思えるようになった。


日本のお葬式と同じ日のサンセットに、ゴアのビーチでもセレモニーをした。

花と線香を山ほど買ってきて、彼女の行きつけだったゴアのビーチの、シバ神の頭像を飾り付けた。

セレモニー用にプリントアウトする彼女の写真を探したんだけど、どれももれなく100万ドルの笑顔で、

来た人みんなが、彼女の笑顔がどんなに素晴らしかったかということを口々に語っていた。

満月の前の日だったので、「月は東に日は西に」状態で、日没と同時に月が昇り、柔らかい光が長く続いていた。

彼女はたぶん、100万ドルの笑顔を真っ赤にして、

まるで誕生日のサプライズパーティをやってもらったかのように、

「やだその花ぜんぶあたしのため?きゃあーやめてー!」と恥ずかしがってるような気が、ほんとにした。


その日から、彼女はどこにでもいるようになって、

美しい朝日を見ても、牛乳をこぼしてしまっても、全てが彼女からのメッセージで、

私はしょっちゅう彼女に話しかけている。

いきなり泣き出す私に、彼女は「もーりおちゃん、だからーもう大丈夫だって私!」

と言わんばかりに隣であわあわしているような気がする。


私はそれでもやっぱり泣くんだけど、その時にあわあわしている彼女は、

元気いっぱいの幸せそうな彼女で、私はそれがしみじみ嬉しい。

彼女がいないのはもちろんすごい悲しいんだけど、私を訪ねてくれる彼女は、

亡くなる一週間前にビデオチャットしたときの痛々しい姿ではなく、

いたずらっぽい笑顔の彼女だということに救われる。


一人っ子を亡くしたご両親と、私の友人でもある、彼女の夫の悲しみを思うと、どんな言葉も軽すぎる。

彼女の3歳半の娘は、葬式当日は大変だったみたいだけど、彼女に似てそりゃ天真爛漫で、

葬式の次の日からよく食べよく眠ってるらしい。周りを泣き笑いさせているに違いない。

母親を失ったということはそれは大きなトラウマだけど、大丈夫、周りの人の愛情を一身にうけて

そして、母がどんなに素晴らしい人だったかということをさんざん聞かされて育つはず。

私もその周りの人のうちのひとりになろうと思う。


亡くなる人はいつでもメッセージを残すんだなあ。

日々の諸々の気づきを、勝手にいちいち彼女のメッセージに仕立て上げて

今日も精一杯の1日を送ろうっと。


とりあえずはこれを書かずして他のことを書けないので書いてみた。


ゴアシーズン真っ只中

南国の冬も終わりつつあるよ、

ジーンズ履かなきゃバイクにのれない時期がすでに懐かしい。


私は元気です。みんな元気かな。


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by shantiriot | 2018-02-24 19:39 | 日々のつぶやきもろもろ

RIO :天然石とシルバーの一点もの中心のジュエリーブランドShanti Riotのデザイナー。インドネパールを中心に旅しつつ制作しつつ、まったりとエキサイティングな日々を送っています。Home is where your heart is.


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