2015年 04月 28日
ネパール大地震
先週の土曜のネパールの大地震のニュースを聞いて連絡くださったみなさま
私は大丈夫です。ネパールのカトマンズには、地震の翌日にデリーから飛ぶ予定で、
土曜の時点ではジャイプールにいました。
こんなにごぶさたのブログの再開が、こんな風にスタートするのは本当に残念。
今シーズンのゴアもかけぬけ、
うれしい事も楽しいことも過去数ヶ月にたくさんあったのに、
この大災害のニュースの前にはとりあえず何もかも吹っ飛んでしまう。
土曜、ジャイプールの部屋で友達と朝ご飯を食べていたら、1分くらいの微震がくる。
「外に出よう!」
とわらわらする友達に、
「震源地遠いから大丈夫だよー」
とたかをくくっていた。
その後すぐ、カトマンズの常宿に予約の電話をいれようとしたら
「現在使われておりません」
? おかしいなあー電話番号変わったのかなあ
と思ってたけど、今思えばその時もうカトマンズはすごいことになっていたのだ。
結局その後一日中ネパールへの電話はつながらず。
すぐに友達がカトマンズで地震があったとメッセージで知らせてくれて
写真や動画を見て絶句。
崩れ落ちた寺があふれる旧王宮広場は、カトマンズの私の庭みたいなもんで
(世界遺産を庭呼ばわりしてすみません、でもそれくらい地元の人に親しまれてたのだ)
朝ご飯がてらの散歩コースだった。
お堂の石造りの階段を登って、そこでチャイを飲みつつ
上から街が一日をスタートをするのを見るとよっしゃ今日もがんばろうという気になる。
そんな私のダルバルスクエア(旧王宮広場)が、見事に崩れさっていた。
(世界遺産を「私の」よばわりしてすみません、でもそれくらい地元の人に親しまれてたのだ)
頭の中が真っ白になって絶句しつつ、
「明日のカトマンズ行きのフライトどうしよう」と思う。
後からもっと被害がわかってきたら、どうもこうもなくて、行けるわけなかったんだけど、
どちらにしてもインドビザが切れてしまうので、
インド国外には出なきゃいけないのだ。
急遽次の日にバンコクに飛ぶことに決定。
前の日の午後になって次の日に行く国を変更するなんてさすがに初めて。
パッキングが大の苦手の私、加えて仕事を諸々一段落させるのに、
ただでさえインドの最終日はてんやわんやなのに、さらにチケットの予約に数時間を費やす。
結局一睡もしないまま、日曜日、朝5時のバスでジャイプールを出発。
ばたばたでヘロヘロで、おまけに今後の予定をたてようもなくて
正直、カトマンズでジュエリー制作ができない状況に、私も途方にくれてるのだけど
あまりに事が大きすぎて、私の途方にくれてるレベルなんてたいしたことない気がしてくる。
カトマンズのジュエリー職人何人かに次の日やっと電話がつながる。
みんな「OK」で心底ほっとする。
こんなに君の声が聞けてうれしいことはなかったよ。
でも、OKって、怪我してない、ということで、
それはもちろん大安心なんだけど、
家は壊れてつぶれてないけど中にいられず、
停電のままみんな野宿をしている状態。
現地の友人も、だんだん安全確認がとれてきた。
停電で通信状況も悪くて連絡がとれない場合がほとんどらしい。
カトマンズの様子もだんだん伝わってきている。
状況はひどいけど、みんなが本当に助け合っているみたい。
ネパール人の「分け合う」国民性が非常時に功を奏しているのがわかる。
本当に、芯の強い人たちなのだ。
それと同時に、犠牲者の数もどんどん増えてきている。
見つかっただけで4000人を超えた。
昨日気づいた。
私にとっては、
東京の実家の近所より、
カトマンズの王宮広場のほうが
よっぽどなじみがあるという事に。
ネパールは、インドと並んで
私のもうひとつの故郷 と呼べる場所。
正直、バンコクにいるのに
心ここにあらず状態です。
とりあえず諸々未定だけど、
私は大丈夫。
安全確認がとれていない人たちの無事を心から祈ります。
お寺の上から見下ろす旧王宮広場。
写真手前の石階段を登って上にあがる。
ネパールの若者たちのデートスポットでもあった。
このお寺もてっぺんから崩れ落ちた。

私は大丈夫です。ネパールのカトマンズには、地震の翌日にデリーから飛ぶ予定で、
土曜の時点ではジャイプールにいました。
こんなにごぶさたのブログの再開が、こんな風にスタートするのは本当に残念。
今シーズンのゴアもかけぬけ、
うれしい事も楽しいことも過去数ヶ月にたくさんあったのに、
この大災害のニュースの前にはとりあえず何もかも吹っ飛んでしまう。
土曜、ジャイプールの部屋で友達と朝ご飯を食べていたら、1分くらいの微震がくる。
「外に出よう!」
とわらわらする友達に、
「震源地遠いから大丈夫だよー」
とたかをくくっていた。
その後すぐ、カトマンズの常宿に予約の電話をいれようとしたら
「現在使われておりません」
? おかしいなあー電話番号変わったのかなあ
と思ってたけど、今思えばその時もうカトマンズはすごいことになっていたのだ。
結局その後一日中ネパールへの電話はつながらず。
すぐに友達がカトマンズで地震があったとメッセージで知らせてくれて
写真や動画を見て絶句。
崩れ落ちた寺があふれる旧王宮広場は、カトマンズの私の庭みたいなもんで
(世界遺産を庭呼ばわりしてすみません、でもそれくらい地元の人に親しまれてたのだ)
朝ご飯がてらの散歩コースだった。
お堂の石造りの階段を登って、そこでチャイを飲みつつ
上から街が一日をスタートをするのを見るとよっしゃ今日もがんばろうという気になる。
そんな私のダルバルスクエア(旧王宮広場)が、見事に崩れさっていた。
(世界遺産を「私の」よばわりしてすみません、でもそれくらい地元の人に親しまれてたのだ)
頭の中が真っ白になって絶句しつつ、
「明日のカトマンズ行きのフライトどうしよう」と思う。
後からもっと被害がわかってきたら、どうもこうもなくて、行けるわけなかったんだけど、
どちらにしてもインドビザが切れてしまうので、
インド国外には出なきゃいけないのだ。
急遽次の日にバンコクに飛ぶことに決定。
前の日の午後になって次の日に行く国を変更するなんてさすがに初めて。
パッキングが大の苦手の私、加えて仕事を諸々一段落させるのに、
ただでさえインドの最終日はてんやわんやなのに、さらにチケットの予約に数時間を費やす。
結局一睡もしないまま、日曜日、朝5時のバスでジャイプールを出発。
ばたばたでヘロヘロで、おまけに今後の予定をたてようもなくて
正直、カトマンズでジュエリー制作ができない状況に、私も途方にくれてるのだけど
あまりに事が大きすぎて、私の途方にくれてるレベルなんてたいしたことない気がしてくる。
カトマンズのジュエリー職人何人かに次の日やっと電話がつながる。
みんな「OK」で心底ほっとする。
こんなに君の声が聞けてうれしいことはなかったよ。
でも、OKって、怪我してない、ということで、
それはもちろん大安心なんだけど、
家は壊れてつぶれてないけど中にいられず、
停電のままみんな野宿をしている状態。
現地の友人も、だんだん安全確認がとれてきた。
停電で通信状況も悪くて連絡がとれない場合がほとんどらしい。
カトマンズの様子もだんだん伝わってきている。
状況はひどいけど、みんなが本当に助け合っているみたい。
ネパール人の「分け合う」国民性が非常時に功を奏しているのがわかる。
本当に、芯の強い人たちなのだ。
それと同時に、犠牲者の数もどんどん増えてきている。
見つかっただけで4000人を超えた。
昨日気づいた。
私にとっては、
東京の実家の近所より、
カトマンズの王宮広場のほうが
よっぽどなじみがあるという事に。
ネパールは、インドと並んで
私のもうひとつの故郷 と呼べる場所。
正直、バンコクにいるのに
心ここにあらず状態です。
とりあえず諸々未定だけど、
私は大丈夫。
安全確認がとれていない人たちの無事を心から祈ります。
お寺の上から見下ろす旧王宮広場。
写真手前の石階段を登って上にあがる。
ネパールの若者たちのデートスポットでもあった。
このお寺もてっぺんから崩れ落ちた。

by shantiriot
| 2015-04-28 13:01
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